刑務所獄中記【人の不幸は甘い蜜】刑事施設拘束1530日

自分よりも不幸で不運な人がいることを知ることで、悩んでいる人や迷っている人に少しでも元気を与えることが出来れば良いなと思います

配役された工場の担当刑務官は所内でトップクラスの気違いで有名㉘

考査期間が終わり、A工場への配役が言い渡

された。座り作業で、拘置所と同じ紙袋の制

作作業なのでお腹いっぱいだった。工場の世

話役が居室が隣室のI君を紹介してくれた。

運動時にグランドをI君とウォーキングをし

ながら、A工場について色々と教えてもらっ

た。先ずは、とにかく正担(担当刑務官)が

気違いで、かなりの神経質で、マークされた

らネチネチと注意、指導してくるから気をつ

けるようにと助言を受けた。I君は窃盗の2

刑持ちで懲役2年8ヶ月とのことだった。

仮釈放4ピンで計算すると、1年半後には出

られる筈だと言っていた。「何をしたの」と

聞かれたので「強盗」と答えると、「あまり

仮釈放もらえないと思うよ」と言われた。

I君が入所して見てきた中で、「強盗」で仮

釈放を1番もらっていた人で6ピンだったと

いう。しかも懲罰、始末書1枚も無しで。

10ピンなんていうのもざらだと聞いて大き

なショックを受けてしまった。被害者に対

して被害弁済も断られたし、被害者からは

「出来る限りの最大の刑事罰を与えて欲し

い」とも言われているので、仮釈放なんて

もらえたらラッキーだという風に考えざる

を得なくなった。だったらそれなりの努め

方をしていこうと考える様になった。毎週末

I君と雑誌の不正授受をやっていたし、

「生活の心得」という受刑生活の過ごし方が

記載してある冊子に書いてあるルールを守ら

なかったりして、免業日の巡回担当に注意、

指導を受ける事が度々あった。免業日に受け

た注意、指導は作業日に正担に一々報告をし

なければならない。報告すれば怒鳴り散らさ

れ、萎縮させて従順な下僕にするのが目的だ

と途中から思いだしたので、ある日、あえて

報告をしないことがあった。すると作業中に

担当台から名前を呼ばれて、「お前、ワシに

何か言うことはないんかい」と聞いてきたの

で、「あっ…」と答えたら、「何があっじゃ

、なめとるんかお前は、所動作も出来なけれ

ば報告も出来ない、お前新入よりもできとら

んぞ」と絶叫され怒鳴られた後、「次の3時

の休憩迄にしっかりとか考えをまとめて報告

に来い」と言い放たれた。あまりにも激しい

怒鳴られ具合だったので、周囲の目を感じず

にはいられなかった。3時の休憩時間になっ

た。もうふっきれていた。正担に対して、

「報告しなかったのはすいませんでした」と

伝えたところ、「お前他の工場だったらとっ

くに上げられとるぞ」と言ってきたので、

「上げられるとはどういうことをいうのです

か、分かりません」と言ったところ、「お前

は病気なんか」となめたことを言ってきたの

で、「そうかもしれませんね、だったらどう

だって言うんですか」と聞いたところ、「よ

だれを垂らしたり、独言をブツブツ言ってい

る様な精神面で病をかかえている懲役が多く

いる工場で生活するということになる」と脅

しともとれることを言ってきたので、「あな

たが俺に対してそう判断するのであれば、そ

うして下さい」とキッパリ言ったら、「それ

はもう少し様子を見て決めさせてもらう」と

言われて3時の報告は終了した。その一件

以来、俺に対する対応は柔らかくなった。

コイツはキレたらやる奴だと感じたのだと思

う。他にもこの正担には新入時に色々と嫌が

らせを受けた。元々イジメられっ子で、刑務

官という職業についてから今迄のイジメられ

てきた鬱憤を受刑者に投影して晴らしている

のだろう。心底根性の腐った奴で、機会があ

ればボコりたいと思う程だ。先輩受刑者から

職業訓練に行くことを勧められた。「ここ

(A工場)に比べたら天国の様に感じると思

うし、時間が経つのが早い」ということなの

で、職業訓練の募集がかかったので、直ぐに

応募した。職業訓練に行きたいが為に注意、

指導を受けない様に気を引き締めて過ごした

。いつもの様に1日の作業が終了した後、正

担が「今日限りでA工場の担当を退くことに

なりました。明日からは新しい担当が来ます

。社会で待っている人のことを考えればヘラ

ヘラ笑っている時間なんて全くないと思いま

す。そのことをしっかりと考えて残りの受刑

生活を送るようにして下さい」と周知があっ

た。「ヨッシャー」と雄叫びを上げられない

代わりに、腹の中で万歳三唱した。次の正担

は中肉中背で穏やかな雰囲気を醸し出してい

た。申し出をしても忘れてたりするポンコツ

な面はあったが、前担当者に比べたら断然良

かった。娑婆にいる時はほとんど毎日酒を飲

んでいたし、時々ガンジャも吸っていたので

眠剤を飲まなくても寝れていた。だが、逮捕

されてからは日に日に眠りが浅くなってきて

いた。時には一睡も出来ないという日もあっ

た。そんな状態での懲役はかなりしんどい。

前担当者は薬に頼るのを許してくれなかった

ので、申し出で医務願箋をお願いしても却下

されていた。全否定はしないが、気持ちの持

ち様でどうにでもなるという時代にそぐわな

い考え方をする人だった。新しい担当に申し

出で「不眠の為、医者に見てもらいたいので

医務願箋をお願いします」と伝えたところ、

「担当が変わった瞬間に許可すると、上から

俺が注意されるから来週迄待ってくれ」とぶ

っちゃけられたので、顔を立ててその通りに

した。医務願箋を出してから約1ヶ月後にな

ってやっと診察が回ってきた。不眠の症状を

伝え、娑婆ではロヒプノールを服用していた

ことを医者に伝えたら、すんなりと明日から

処方してくれることになった。久々に薬を服

用したので、フワフワ、フラフラした状態が

とても面白く、消灯前にはすでに寝ていて、

起床チャイムの途中で起きる程よく眠れた。

そのおかげで作業も運動もはかどった。

A工場に配役されて約5ヶ月が経った。集団

行動が嫌いな俺は、オッサン達の馴れ合いや

足の引っ張り合いが心底苦痛だったので、話

しの合うごく少数の懲役と一緒にいることが

多かった。それでも最初のうちは相当ストレ

スを感じていたのだが、日を重ねる毎に馴れ

ていった。地元が同じで元カノも同じ人にも

出会った。最初は笑い話しになるいいネタと

思っていたのだが、次第にコイツと穴兄弟

のかと思うとイライラすることもあった。

職業訓練の入れ替えの日がやってきた。毎週

月曜日は矯正指導日といって作業はなく、自

室にて自主学習や読書をすることになってい

る。13:00〜13:30分が運動の時間となってお

り、居室内にて運動ができる。その時間帯に

職員が来て、職業訓練受講対象者に言い渡し

がくることとなっている。来なければ流れた

ということになる。腕立て伏せをしていた時

に居室の扉が開き、職員から、「職訓に行く

ことが決まったので、B工場へ移動する準備

をしておくように」と言われて、キャリーケ

ースを貸与された。これで半年間刑期を楽に

消化出来ると思うと嬉しくて仕方なく、運動

時間一杯まで張り切って腕立て伏せをした。