刑務所獄中記【人の不幸は甘い蜜】刑事施設拘束1530日

自分よりも不幸で不運な人がいることを知ることで、悩んでいる人や迷っている人に少しでも元気を与えることが出来れば良いなと思います

調査、懲罰はっきり言ってくだらねえしどうでもいい㊽

去年の夏頃は「暴行・指示違反」で懲罰とな

ったので閉鎖ユニットで過ごし、今年の夏は

「喧嘩」事案で閉鎖ユニットで過ごすことに

なった。去年に比べて今年の夏は暑い。空調

は効いていないし、居室の窓を開けても熱風

が入ってきて余計に暑かった。居室内はまる

でサウナだった。昨日の出来事を考える。I

さんは年齢が40歳で、Iさんを睨んだHは

23歳。Iさんは10代の頃に親の反対を押

し切って結婚をしたが、それが原因で親をは

じめ、親戚から絶縁されていた。しかも結婚

した女とも上手くいかず、20代前半の頃に

は離婚したみたいだった。とても大人しく内

向的な性格なので友人もいないのだろう、外

部(娑婆)から手紙も全く無かった。刑期も

まだ3年半程残っていた。俺は残り1年1ヶ

月を切っていたので、Iさんと話す時はいつ

も俺に対して、「もう少しで終わり(出所)

なので、出ることだけに集中して下さい、

何かトラブルが起きた時は自分が代わりに行

きますので」と言っていた。出所後は裏の世

界で生きていくことを決めているとも言って

いた。この人にそんな根性あんのかな、口だ

けな気もしていた。Iさんを睨んだHは家族

が裕福なので、頻繁に差し入れがあった。好

きな音楽のジャンルや娑婆にいる時に行って

いたイベントなどかぶっていたこともあり、

週末などにキメて話すこともあった。お調子

者ではあったが、面白い奴だったので嫌いで

はなかった。いくらIさんが机を叩く音がう

るさかったとはいえ、20前半のガキが40

歳のIさんを睨んだ行為にはイラッとしたの

で、呼んでIさんの前で詰め寄ったのだが、

実はIさんがどういった行動を取るのかを確

かめたいという気持ちがあった。Iさんは俺

に対して、「何かトラブルが起きた時は自分

が代わりに行きますので」と常日頃言ってい

たのに、俺がHを詰めている時にIさんを見

たら自分の手元を見ているだけで何のアクシ

ョンも起こす感じは伝わらなかった。内心、

お前(Iさん)がやられてるんだから、お前

がやれよと思っていたが途中から"やり方”

が分からないんだろうなと思い、ただの口だ

けのオッサンじゃねえかと思っていた。調べ

が始まった。初めて話す主任だった。主任が

言うには、「Iはお前がIの気持ちを汲んで

くれただけでお前は悪くない、事の発端は自

分が机を叩いたからなので、お前とHには罰

を与えずにG工場に戻して欲しいと言ってい

るぞ」と言ってきた。続けて、「HもIを睨

んでいないし、お前とは何でも話し合える関

係なので、お前とは口論等、喧嘩なんかして

いないと言っているが、どういうこと」と笑

いながら聞いてきた。そこで俺が、「IがH

から睨まれた事に腹を立てて、今にもHの方

に向かって行きそうな雰囲気だったので、俺

が間に入って場を収めようとした、HがIを

睨んだかどうかは知らない」と言えば、3人

の話しがピタリと一致するので、Iの「粗暴

な言動」という反則事案だけで済み、俺とH

に関しては不問という可能性も十分あった。

Iは散々デカイことをぬかすアホなオッサン

という人物像が出来上がっていたのでそうい

う方向で持っていこうともしたが、クソガキ

が約倍以上も歳の離れた人にガンを飛ばすと

いうなめた行為を許す気にはなれず、調べで

は一貫して、「Iが机を手の平で"バチン"

と叩いた後にHがIに対してガンをとばしてい

ていて、Iもそれに気付いていた。Hみたい

な平々凡々の苦労知らずで今迄生きてきたク

ソガキが、Iに対してガンをとばすというなめ

た行為に自分自身も腹が立ったし、Hとも普

段から話すことはあったので、自分が間に入

れば丸く収まると思ったし、俺が間に入らな

ければ、Iが後々Hに仕掛けると思ったのであ

の様な行動に出た」と話した。これが偽りの

ない事実だ。Iも俺と同じで事実を認めている

のだが、Hは往生際が悪く、「Iに対して睨ん

でいない」と否認を続けている。だが俺に対

しては、「ダブルビさんとは本音で話し合う

事が出来るし、色々と教えてもらったりする

こともあり仲良くさせて頂いている、ダブル

ビさんとは口論も喧嘩もしていない」と終始

徹底しており、俺からしたら物凄く複雑で微

妙な立場だった。Hがそういう自己保身に走

った為、調べ期間はMAX1ヶ月を要した。

やっと懲罰審査会が開催された。俺の反則事

案は「粗暴な言動等」になっていた。俺と同

じか少し年上の主任クラスが反則事案内容を

読み上げた。部長から「間違いないか」と確

認されたので、「ハイ」と短く答えた。

統括から「今回の反則事案についてどう思っ

ているんか」と聞かれたので、「申し訳ない

と思っています」と答えた。「相手に対して

はどう思っている」と聞かれたので、「ハッ

キリしない微妙な奴だと思っています」と答

えた。統括の隣に座っていて反則事案を読み

上げた主任クラスの者が凄い形相で俺を睨ん

でいるのでミラー現象で睨み返してやった。

それを見た部長が、「お前反省しとるんか」

と聞いてきたので、またしても短く「ハイ」

とだけ答えたところで終了となった。

調査、懲罰はっきり言ってくだらねえしどうでもいい㊽

去年の夏頃は「暴行・指示違反」で懲罰とな

ったので閉鎖ユニットで過ごし、今年の夏は

「喧嘩」事案で閉鎖ユニットで過ごすことに

なった。去年に比べて今年の夏は暑い。空調

は効いていないし、居室の窓を開けても熱風

が入ってきて余計に暑かった。居室内はまる

でサウナだった。昨日の出来事を考える。I

さんは年齢が40歳で、Iさんを睨んだHは

23歳。Iさんは10代の頃に親の反対を押

し切って結婚をしたが、それが原因で親をは

じめ、親戚から絶縁されていた。しかも結婚

した女とも上手くいかず、20代前半の頃に

は離婚したみたいだった。とても大人しく内

向的な性格なので友人もいないのだろう、外

部(娑婆)から手紙も全く無かった。刑期も

まだ3年半程残っていた。俺は残り1年1ヶ

月を切っていたので、Iさんと話す時はいつ

も俺に対して、「もう少しで終わり(出所)

なので、出ることだけに集中して下さい、

何かトラブルが起きた時は自分が代わりに行

きますので」と言っていた。出所後は裏の世

界で生きていくことを決めているとも言って

いた。この人にそんな根性あんのかな、口だ

けな気もしていた。Iさんを睨んだHは家族

が裕福なので、頻繁に差し入れがあった。好

きな音楽のジャンルや娑婆にいる時に行って

いたイベントなどかぶっていたこともあり、

週末などにキメて話すこともあった。お調子

者ではあったが、面白い奴だったので嫌いで

はなかった。いくらIさんが机を叩く音がう

るさかったとはいえ、20前半のガキが40

歳のIさんを睨んだ行為にはイラッとしたの

で、呼んでIさんの前で詰め寄ったのだが、

実はIさんがどういった行動を取るのかを確

かめたいという気持ちがあった。Iさんは俺

に対して、「何かトラブルが起きた時は自分

が代わりに行きますので」と常日頃言ってい

たのに、俺がHを詰めている時にIさんを見

たら自分の手元を見ているだけで何のアクシ

ョンも起こす感じは伝わらなかった。内心、

お前(Iさん)がやられてるんだから、お前

がやれよと思っていたが途中から"やり方”

が分からないんだろうなと思い、ただの口だ

けのオッサンじゃねえかと思っていた。調べ

が始まった。初めて話す主任だった。主任が

言うには、「Iはお前がIの気持ちを汲んで

くれただけでお前は悪くない、事の発端は自

分が机を叩いたからなので、お前とHには罰

を与えずにG工場に戻して欲しいと言ってい

るぞ」と言ってきた。続けて、「HもIを睨

んでいないし、お前とは何でも話し合える関

係なので、お前とは口論等、喧嘩なんかして

いないと言っているが、どういうこと」と笑

いながら聞いてきた。そこで俺が、「IがH

から睨まれた事に腹を立てて、今にもHの方

に向かって行きそうな雰囲気だったので、俺

が間に入って場を収めようとした、HがIを

睨んだかどうかは知らない」と言えば、3人

の話しがピタリと一致するので、Iの「粗暴

な言動」という反則事案だけで済み、俺とH

に関しては不問という可能性も十分あった。

Iは散々デカイことをぬかすアホなオッサン

という人物像が出来上がっていたのでそうい

う方向で持っていこうともしたが、クソガキ

が約倍以上も歳の離れた人にガンを飛ばすと

いうなめた行為を許す気にはなれず、調べで

は一貫して、「Iが机を手の平で"バチン"

と叩いた後にHがIに対してガンをとばしてい

ていて、Iもそれに気付いていた。Hみたい

な平々凡々の苦労知らずで今迄生きてきたク

ソガキが、Iに対してガンをとばすというなめ

た行為に自分自身も腹が立ったし、Hとも普

段から話すことはあったので、自分が間に入

れば丸く収まると思ったし、俺が間に入らな

ければ、Iが後々Hに仕掛けると思ったのであ

の様な行動に出た」と話した。これが偽りの

ない事実だ。Iも俺と同じで事実を認めている

のだが、Hは往生際が悪く、「Iに対して睨ん

でいない」と否認を続けている。だが俺に対

しては、「ダブルビさんとは本音で話し合う

事が出来るし、色々と教えてもらったりする

こともあり仲良くさせて頂いている、ダブル

ビさんとは口論も喧嘩もしていない」と終始

徹底しており、俺からしたら物凄く複雑で微

妙な立場だった。Hがそういう自己保身に走

った為、調べ期間はMAX1ヶ月を要した。

やっと懲罰審査会が開催された。俺の反則事

案は「粗暴な言動等」になっていた。俺と同

じか少し年上の主任クラスが反則事案内容を

読み上げた。部長から「間違いないか」と確

認されたので、「ハイ」と短く答えた。

統括から「今回の反則事案についてどう思っ

ているんか」と聞かれたので、「申し訳ない

と思っています」と答えた。「相手に対して

はどう思っている」と聞かれたので、「ハッ

キリしない微妙な奴だと思っています」と答

えた。統括の隣に座っていて反則事案を読み

上げた主任クラスの者が凄い形相で俺を睨ん

でいるのでミラー現象で睨み返してやった。

それを見た部長が、「お前反省しとるんか」

と聞いてきたので、またしても短く「ハイ」

とだけ答えたところで終了となった。

くだらない理由の喧嘩で5回目の懲罰となる㊼

約1週間ぶりにG工場へと戻ってみると、

すっかり"ヒヒ”帝国"となっていた。

考査の時以上に皆が声を張り上げていたし、

指先や通路を曲がる時などの所動作は徹底さ

れていた。キモかった。閉鎖ユニットの正担

が言っていた通り、ヒヒから皆の前で「所動

作が皆に比べて遅いんだよ、しっかり合わせ

ろ」と整列の際怒鳴りつけられたので、、ア

バイスに従い、「すいません」と言った。

作業中にヒヒから名前を呼ばれたので、「ハ

イ離席します」と言いヒヒのいる後方へと向

かった。するとヒヒが、「向こう(閉鎖ユニ

ット)で何を言ったかは分からないが、お前

は俺に噛み付いてきたりはしないだろうな」

と聞いてきたので、「はい、そんなことはし

ませんよ」と答えた。恐らく俺がヒヒから上

げられて連行されている時に言ったことを気

にしているのだろうと思った。偉そうにして

いる割には気が弱えんだなと感じた。話しが

急に変わり、「真面目にしている者からし

らお前みたいに適当にしている奴は迷惑なん

だよ」と言われたので黙って聞いていたら、

急に制帽を脱いで「職員と受刑者の関係では

なくて、1人の人間対人間として言っている

んだよ」とお寒いことを言ってきた。髪は細

くペチャンコで禿げるんだろうなぁと考えて

いた。俺が何にも答えないので、眉間に縦皺

を3本作り眼力を入れて睨みつけるように、

じぃっと俺の目を見てくる。全然迫力も無い

し、ただただキモかった。ちょうどその時に

工場に統括が巡回に来た。ヒヒが素早く制帽

をかぶり、「ウェッ」と挨拶をする。すると

統括がヒヒを俺から遠ざけて何か話してる。

盗み聞きしたら、統括がヒヒに「真面目にや

る様に言っているから、そこまでしなくても

あいつは大丈夫だから」というニュアンスの

事を言っていた。統括が工場から出ていった

後にヒヒがこちらに向かってきて、「向こう

でどういう話しをしたか分からないが、今回

は目をつぶってやる」と言ってきたので、

「すいません、ありがとうございます」と軽

く頭を下げた。どういう話しをしたのかを凄

く気にしていて探りを入れてくるのが分かっ

たが、気付いていないふりをしてその場をや

り過ごした。自分の出世の事しか考えていな

いし、何よりも小心者だなぁと感じた。前の

工場が同じだったり、娑婆で似た様なシノギ

や遊びをしている者は何人かはいたが、ホー

ルでダラダラ話しをするよりも、自室で本を

読んだりする方が自分の為になると思ったの

で、誘われたりしない限りは基本的には自室

内で過ごしていた。一般の工場は人員が40

〜50人程になるが、今回の職訓は35人程だっ

たにも関わらず、ホールでの話し声が非常に

うるさかった。20代前半の仲良しグループの

高笑いは特にうるさかった。巡回担当からも

何度もうるさいと注意を受けることになり、

それがヒヒの耳に入った。一般工場であれば

工場長や世話役が存在するので、その人達が

注意をするのが当たり前なのだが、G工場で

は上下関係が生じるのを防ぐという理由で、

役割を週単位で変えていた。ヒヒの耳に入っ

た時の担当はIさんだった。年齢は40歳で、

政治思想は極右で、学がなくて話し下手だっ

た。訓練中Iさんがヒヒから呼ばれ、作業終

了後に「高声交談をしないように周知するこ

と、次巡回に注意されることがあればホール

制限(交談禁止)をかけるからな」と言われ

作業終了後にIさんが皆の前に立ってヒヒか

ら言われた通りに周知した。緊張でガチガチ

でグダグダだった。Iさんとは居室が隣で、A

工場で同じこともあり誘われたら話すことが

あった。夕食後の余暇時間にIさんと話して

いたのだが、さっき高声交談を注意したのに

既にもううるさい。そこにSさんがきて、

「いやぁ、人数少ないのにほんとウルサイで

すよね」と言った。そしたらIさんが「もう

こうするしかないですね」と言って机を右手

の平でバチンと強く叩いた。一瞬で静かにな

り、皆が俺達3人が座ってる卓を見ていた。

周りを見渡したら、20代前半の1番うるさ

いグループの何人かがIさんにガンたれてい

た。Iさんもそれに気付き「アッ」と言って

いた。Iさんよりは俺の方がそいつらと話す

機会はあったので、「おいお前らちょっと来

いや」とこちらの卓に呼びつけた。「てめえ

らがうるせえからこうなってんのに、何でI

さんを睨んどるんや」と聞いたら、「睨んで

ないですよ」と返してきたので、「睨んでる

からこうなってんじゃないとや、とりあえず

Iさんに謝罪しろ」と更に返したら、「刑務

所まできてこういう争いは辞めませんか」と

開き直ってきたので、「お前らここで喧嘩す

るのと、残りの訓練期間居室でずっと過ごす

のどっちがいいや」と詰めたら当然「どっち

も嫌です」と言ってきたので、机をバチンと

叩き、立ち上がってマウントとって居室着を

使って首でも締めてやろうと思ったら、職員

専用ドアがガチャンと開き、「お前達そこの

壁側向いて立て」と巡回担当が3人入ってき

た。恐らくIさんが机を叩いた時点で相当の

音が出ていたので、マジックミラーの内側か

ら成り行きを監視していたのだろう。それに

してもIさんにはガッカリした。やりっ放し

で後の対処もすることが出来ない素人さ加減

に普段散々でかいこと言っておきながらこれ

かよと内心毒付きながら、Iさん、俺、若い

グループの3人が処遇調べ室へと連行になり

喧嘩事案で調査となった。あと3週間で半年

職業訓練が終了するというのにもったいね

えことしたなとは思ったが、増刑にならなけ

れば満期でもいいという考えがあったので、

別にいいやという気持ちに変わり、閉鎖ユニ

ットへと連行された。

親身になって接してくれる刑務官の存在は懲役にとって本当に有り難い㊻

調べがあった。担当は「お前のストーリーを

語ってみろ」と以前の調べの時に言った主任

だった。「あのサイコパス刑務官何なんです

か、一方的に絡んできやがって、統括とか金

線の幹部が偉そうにするならまだ分かります

けど、幹部でもないのに誰よりも偉そうにし

やがって、マジで訳分からないですよ」と怒

声を上げたら、「まあまあ、色んな親父さん

がいるもんじゃ」と笑いながら宥めるように

言ってきた。「色んなタイプの親父(正担)

がいるのは分かりますが、あれは度を超えて

ますよ、反抗なんてしていないし、勝手にや

って下さい、指印も押しませんから」と強い

意思表示をしたところで一旦調べが終わり居

室へと戻された。居室に入る寸前に主任から

「後で別の者が調べがくるのでどうするか決

めろ」と言われた。このパターン前にもあっ

たなと思い、前回のパターン通りなら、面白

くて頭の回転が早い担当が来る筈だと思った

ら見事に予想的中してまた直ぐに調べ室へと

戻ることになった。この刑務官Mとは波長が

合う。「G工場へ戻りたいのか、戻りたくな

いのかどっちなの?」と聞かれたので、「せ

っかくの職業訓練なんで、そりゃあ戻りたい

ですよ」と言ったら、「出来る限り戻れる様

な調書を巻くけど、戻れる可能性は五分五分

だと思っていてくれ」と言われた。巻いてく

れた調書は完璧すぎるくらいに自分に有利な

調書だったので、問答無用で指印を押した。

その代わり、「もしも戻れる事になったら、

嫌だとは思うけど先ずは親父に謝罪しろ、そ

して今後2度と調査、懲罰に上がってくる事

はするな」と念を押されたので、「分かりま

した、有難うございました」と頭を下げた。

それから2日経った。昼食前に入浴があり、

風呂から上がって居室へと連行されている時

に、連行担当から、「これから言い渡しがあ

るみたいだから、タオル等一度居室へ置いて

から調べ室へ行くから」と言われた。調べ室

へと連行されて、調べ室の中で待っていたら

調べ室の外で待機している職員が「ウェッ」

と発する声が聞こえた。これは主任や統括に

に対する挨拶なので、お偉方が言い渡しに来

たなと分かった。統括の後ろにはMもいた。

Mが、「気を付け、番号氏名」と言った後、

「◯◯◯◯、◯◯です。」と答えた。それか

ら統括の言い渡しがあった。「今回の件は厳

重注意とするからな、G工場の親父(ヒヒ)

が面倒を見るということだから誠意を見せろ

よ」と言われ尻を軽く叩かれた。今日迄閉鎖

ユニットで過ごして、明日から改めてG工場

へと配役となる。昼食後、居室内で鶴の紙折

り作業をしていたら、閉鎖ユニットの正担が

外側から鍵を開けて、体を半分居室内へ入れ

た状態で話しかけてきた。「明日、G工場に

戻ったら確実に親父(ヒヒ)から厳しい言葉

を浴びせられると思うけど、それはあの人の

パフォーマンスだから、すいませんと謝り続

けろ」というアドバイスをもらった。作業終

了間際にはMも来てくれて、「上手くいった

な、頑張れよ」と言ってくれたので、「Mの

親父のおかげです。有難うございました。」

とお礼を伝えた。この様に親身になって接し

てくれる刑務官の存在は懲役にとっては本当

に大きな精神的な支えとなる。それが仕事な

のかもしれないが、それでも救われる。本当

に有り難いことだと思った。

増刑にならなければ満期出所でもいいやと思うようになった㊺

担当台からヒヒは電話をかけ始めた。電話が

終わりしばらくして連行担当が、「1名っ」

と言いながら工場へと入って来た。その連行

担当に対してヒヒが耳打ちをしている。それ

から処遇調べ室へと連行された。あまりにも

理不尽なやり方に怒りが爆発しそうだったの

を必死で抑えながら、連行担当にわざと聞こ

えるように、「あのサイコパス刑務官汚えや

り方しやがって男らしくねえな、文句がある

ならハッキリ言えって、アイツの専行してい

る格闘技でやってやってもいいのによ、幹部

でも何でもねえのに幹部よりも偉そうな態度

しやがって、どう考えたっておかしいだろ」

と言う俺を連行担当は黙って見ていた。処遇

調べ室に入りパイプ椅子に座っていると統括

が入ってきて、「ハァ…」と溜息を吐き、

「せっかくの職業訓練なのにどうしたんや」

と聞いてきたので、「分かりません、こっち

が聞きたいくらいですよ」と言ったら、「反

抗の疑いで調査に処すからな」と言われ、閉

鎖ユニットへと連行された。この件があって

くらいから、増刑にならなければ満期でいい

やという考えに変わっていった。

運良く職業訓練に行く事は出来たのだが、正担がマジで痛い奴だった㊹

G工場の正担が今回の職業訓練から変わり、

当刑務所でもTOPレベルの卑しく痛い奴だ

った。仇名の由来は分からないが、懲役か

らは"ヒヒ"と呼ばれていた。ヒヒというヤ

バイ刑務官が存在しているのは何人かから

聞いていたので知っていた。G工場に配役

された懲役達も「ヒヒが正担になると分か

っていたら100%応募しなかった」と口を

揃えて言っていた。ヒヒがどう痛いか、ど

う卑しいかというと、ヤクザでいう親分と

子分の関係を強く求めてくることであった。

ヒヒは恐らくヤクザの世界に憧れている。

だがそんな度胸などある筈も無いので、刑務

官という職業を選択し、親分と子分という疑

似体験をすることにより悦に入っている。銀

3本線という全然大した階級でもないのに、

統括クラス並に偉そうな態度をしている。

G工場の懲役の中に、以前ヒヒが正担の工場

にいた者がいた。そいつの話しによると、

ヒヒが工場の担当から変わってからも、夕方

の余暇時間にわざわざホールに来ることがあ

ったという。見事なまでにヒヒから子分化さ

れたアホな何人かの懲役がわざわざ席を立ち

小走りでヒヒの元へ行き、「ご苦労様です」

とか言っていたみたいだ。ヒヒはそういった

アホな懲役を重宝して、班長や各種係へと抜

擢していく一方で、従順で無い者はほんのさ

さいな事で注意、指導、そして調査へと上げ

ていたらしい。そもそもここみたいな短期の

スーパーA級刑務所でそのやり方をするのが

間違っている。稼業人だらけのB級施設であ

ればそのやり方は効果があると思うのだが、

スーパーA級施設の懲役にはそのやり方は通

用しない。20代前半辺りの若い懲役達はヒ

ヒのアメとムチにより少しずつではあるが確

実に子分化されていき、全然笑えない面白く

ないジョークをヒヒが言えば嘘でも笑い、逆

にヒヒの機嫌が悪い時は機嫌とりをしていた

。俺はヒヒのやり方が気に食わなかったし、

幹部でもないのに偉そうな態度を取っている

のを見て馬鹿だなと軽蔑していたので、必要

以上の話しはしなかったし、当然機嫌を取る

ようなことはしなかった。それをヒヒは気に

喰わなかったのだろう。ある日、医務願箋で

「偏頭痛が最近酷いので、医者に見てもらい

たい」と書いて提出したところ、ヒヒから呼

ばれて、「お前、就寝時も薬飲んでいるのに

、まだ薬をもらう気でいるのか」と聞かれた

ので、「眠剤片頭痛は関係性がさほど無い

と思うので一度医者に見てもらいたいので」

と言うと、薬って税金から出てるって知って

んのか」と舐め腐った事を抜かしてきたので

、「そんなの知ってるに決まってるじゃない

ですか、正当な理由無く医者の診察を受けさ

せないということがで出来るのですか」と言

い返したら、「お前、そこに座れ」と言われ

、担当台の隣の椅子に座らされた。

刑務所で仲良かった先輩と、娑婆で再会が実現

 

結婚式で福岡に来ています。
そのついでに刑務所で仲良くなった
先輩と約半年ぶりの再会を果たしました。
もつ鍋食べてbarに行ってから
クラブへ。ベロベロのブリブリの状態で
何件か梯子して、24時位には帰るつもり
でいたのですが、結局4時までエンジョイ
しちゃいました🍸️途中、警察から10年ブリ
に職質されたりもして少し焦る場面もあり
ましたが、最高に楽しかったです😀
16時から披露宴で今から大忙しですが、
頭がボーッとしています🤪

気を引き締めて頑張ってきまーす👊
それにしても、福岡は楽しいなぁ🎶

 

懲役は平然と嘘をつくサイコパシーの高い[サイコパス]が多い㊸

 

それからはしばらくMと2人でサシで話すよ

うになった。Mは詐欺の見張りと運転役で2

年6月ヶ月の懲役だった。出所後はもう詐欺

をやっている友達等とは付き合うつもりはな

く、ホワイトな仕事をしていきたいと言って

いた。親が中小企業の会社経営者ということ

もあり、20半ばにしてはビジネスの知識も

広く備えていたので、出所してからの儲け話

しばかりしていた。たまにHの話しになるこ

とがあった。Hは俺には親父がS会系の組長

と言っていたのだが、MにはI会系の組長と

言っていたみたいだ。出所してからは、

◯ブリンと一緒に仕事をしていくとも言って

いた。あと娑婆にいた時は、◯リタと一緒に

シャブをキメて◯リタのドーベルマンの散歩

のお供をしていたとも言っていた。工藤明男

ペンネーム)の「聖域」

 

「いびつな絆」

 

「破戒の連鎖」

 

の三部作を見ていたので、

"ある意味でヤバイ奴等”との交流があるん

だなと話し半分で聞いていた。Hは「自分が

1番先に出る(出所)ので、出たら2人に本

100冊ずつ送ります!」と調子良く言って

いたのだが、100冊どころか1冊も送って

こないし、手紙1通たりとも送ってくること

はなかった。◯ブリンも◯リタも平気で嘘を

つく、サイコパス

 

と本には書かれていたが、"類は友を呼ぶ"

とはこの事だと痛感した。職業訓練の募集が

あったので、ダメ元で一応応募した。類も3

類から5類へと下げられていた。紙の制作・

加工作業には完全に飽きてしまっていたし、

波長の合う罰明け2人が新たに配役されてき

て、Mも馴染んで仲良くやっていたからだ。

職業訓練の入れ替えの日がやってきた。80

%いけないと思っていた。13時の運動の時

間になり、HIPHOP音楽がラジオから流

れ出しいつも通り腕立て伏せを行っていた。

HIPHOPの音楽と筋トレは非常に相性が

良い。リズムに乗りながら筋トレをしていた

ら、外側から居室のドアが開き、職員から、

職業訓練でG工場に配役になるので準備を

するように」と言い渡しがあり、キャリーケ

ースを貸与された。時間一杯迄筋トレをした

後、荷物をキャリーケースに詰めて移動の準

備をした。移動の為に連行担当が居室へと迎

えに来た。居室を出てキャリーケースを押し

てF工場を後にする際、チラっとMの居室を

見たら両手を大きく振って見送ってくれてい

た。"上がらずに"6ヶ月の職業訓練を終え

て戻ってくるから"上がるなよ"と思いなが

らF工場を後にした。

強い眠気を催す薬[レボトミン]を砕いて鼻から吸引したHの幕引き㊷

夕食の時間になり、皆ホールに出て来て自席

に着くが、Hが出てきていない。Hの居室を

見に行ったらベッドにうつ伏せになって眠っ

ている。なので外側からドアをバンバンと何

回か叩いたら、音に気付いて居室から出てき

た。足元はフラフラで目は焦点が合っておら

ず、完全にぶっ飛んでる。ホールにいる40

名近くが注視している。理解ある奴は笑って

いたが、真面目にやっている奴からしたら良

い迷惑だ。早くしろよという視線を投げかけ

ている。飯を食い終わって席に着いてHに、

「もしかして鼻からいった」と聞いたら、

「ファイ」と呂律が回っておらず、しまいに

はテーブルにデコをつけて寝始めた。対面に

座っている俺はふざけて薄くなっている頭頂

部に息を吹きかけているのを見てMは大爆笑

していた。そしたらHが起きて、「顔洗って

きます」と言って居室へ戻って行った。そし

たら巡回の担当がHの居室へ向かって行き、

Hの居室前で止まり「何してんだ!そのまま

出てこい」と怒鳴り声をあげた。そしたらH

が髪がシャンプーで泡だらけになった状態で

出てきて処遇調べ室へと連行されていった。

本来であれば悲しむところなのだが、皆と一

緒に大爆笑をして連行されていくHを見送っ

た。

懲罰が明けて配役された工場はジャンキー懲役だらけ㊶

懲罰が終わり、改に配役された前日に職業訓

練から戻って来たHと、翌日に配役された新

入のMと自然の流れで空いている4人用の卓

で話すことになった。Hは薬遊びが大好きだ

った。娑婆にいる時は主にシャブをしていた

が10代の頃は主に脱法ドラッグにどハマリ

して、自力では辞められない迄に中毒になっ

たのを母が心配して精神病院へと連れて行き

、入院をして脱法地獄から抜け出す事が出来

たが、次はシャブへと手を出したみたいだ。

シャブ中独特の口の臭さと、これは薬が関係

しているか分からないが、20半ばにして既

に頭頂部が皿型に薄くなっているのが可笑し

かった。Mは薬遊びはしていないということ

だが、興味はあると言っていた。MはHとタ

メ年だが、互いに敬語で話しているのが面白

かった。安定剤や眠剤を服用しているのは3

人の内俺だけだったので、投薬の時飲んだふ

りをして唇と歯茎の間に隠して隠匿をし、薬

を溜め込んで週末に2人に配り、3人で薬遊

びをする様になった。周りに気付かれない様

に「キマっている時こそ冷静でいるように」

と言うのだが、若い二人は「分かりました」

と言うのだが、暫くすると高笑いや話し声が

どんどん大きくなっていく。自分の20代半

ばの頃を思いだすとこうなるのも仕方ないと

思う様になり、注意しなくなった。F工場は

薬遊びする懲役がとても多かった。ゼロ銭

(領地金0円)の懲役が、82円切手一枚と

デパス1個のレートで商売をしていた。その

溜まった切手の金額と同等の日用品(石鹸や

シャンプー)を交換することで極力報奨金に

は手を付けずにいた。ジェネリックなので薬

の単価もかなり安い。1個5〜7円程だ。そ

れでも10倍以上の価値を持つ82円切手と

交換するのだから、刑務所においての薬の需

要は半端ないと感じた。俺はそんな乞食みた

いなことはしたくないしHとMの3人だけで

楽しめればそれで良かったので、他の卓のジ

ャンキー懲役からオファーを受けても断って

いた。Mもそんな俺の考えを察してくれて、

ある分だけで楽しむようにしていたのだが、

Hは違った。週末キメて3人で話しをしてい

ても、鼻をズーズーと鳴らしながら、「足り

ないですね、追いたいですね」とそういうこ

とばかり言うようになった。土、日分用とし

て5発あげていたので「H、何発いったの」

と聞いたら、口元に型を付けて貧乏揺すりを

しながら、「5発ですね」と答えた。Mも俺

も土曜に3発、日曜に2発という風に分散し

て遊んでいたので、一度に全部キメるHのジ

ャンキーさには流石に引いた。そしてあろう

ことか、デパス商人に交渉に行ったのだ。

「10個イケるか」と聞いたら、何時でも良

いということだったみたいなので、直ぐに取

引していた。デパスを受け取り、一度居室へ

と戻り、暫くしてからズーズーと鼻を鳴らし

ながら戻ってきた。「何発いったの」と聞く

と、「5発っすね」と答えたので、「良い感

じ」と聞いたら、「さっきよりは良いですが

もっとキマりたいのでキメてきます」と言い

居室へと戻って行った。そしてまた鼻をズー

ズーと鳴らしながら戻ってきて「やっと良い

感じです、これ位いかないとダメっすね」と

上機嫌で言った後、「二人とも燃費良いっす

ね」と言ってきたので苦笑いしてしまった。

就寝時に飲んでいる強烈に眠くなる薬をHに

追わせたらどうなるのかを見たくなった。H

に、「強めの残っているけどいって見る」と

聞くと「ハイ」と即答だったので居室に取り

に戻りHに渡した。「午前中はもう時間がな

いから、夕方話せる時間の前にキメてきてよ

、でもほんと強めだから鼻からじゃなく口か

らいく方が良いと思うけど、それは任せる」

と言ったら、「分かりました、有難うござい

ます」と頭を下げてきた。薄い頭頂部から姿

を見せる頭皮には、汗が滲んでいた。

懲罰明けに届いた友人からの菅野美穂のヘアヌードに癒やされる㊵

翌日、早速調べが行われた。

前回俺が反抗した主任が調べ担当だった。

前回のふてぶてしい態度と今回の違反事項に

対して謝罪をし、素直に認めた。先日、医務

願箋を出していた。普通は診察まで1ヶ月程

かかるのだが、1週間もしないうちに呼ばれ

た。医者に、「日に日にイライラが増長して

いき、胸苦しいので、ソラナックス0.8㍉

を2錠程処方して欲しい」と願い出たら、

あっさりとOKしてくれて、カタカタとPC

データに入力していた。普通デパスやロヒプ

ノールなどの安定剤や眠剤などは何度も粘ら

ないと処方してもらうことができないのだが

即答OKだったので意外でビックリしたが、

かなり嬉しかった。多分短いスパンで立て続

けに上がったことが影響しているのだろうと

思った。そう思うと上がって良かったとまで

は言えないが、結果オーライだ。今回は不正

洗髪事案だけだったので、7日間の閉居罰と

なった。E工場で同じ卓で話していたY君が

前回の閉居罰7日間を受けた際、正しい受罰

姿勢でピシャっと背筋を伸ばして座っていた

ら1日厳罰になったと言っていたので、俺も

それを目指して背筋をピンと伸ばし背もたれ

に凭れかかずに正しい受罰姿勢を取った。

幹部職員が俺の居室を通りながら、閉居

ユニットの正担に、

「◯◯は良い姿勢で座っとるな」と

言っていた。これは絶対にいける、もらった

と思った。6日目の受罰が終わり、厳罰にな

るのであれば、明日の朝一に幹部職員から、

「反省が見られるので1日の厳罰を与える」

と言い渡しがあるはずだ。7日目、いつまで

経っても言い渡しに来ない。そうこうしてい

るうちに、「受刑者着座はじめ〜」という号

令がかかった。完全に職員のさじ加減で決め

られているんだなと思ったので、朝の申し出

で正担が回ってきて、食器口から、「願い事

はあるか」と聞かれたので、「ピッシャっと

座っていたのに減罰ないんですか」と聞いた

ら、「お前の場合は立て続けだからな」と言

われたので、「Y君も俺と同じ位上がってい

ますよね」と返したら、「俺だけの判断では

決められないからな」と返されたので、「分

かりましたよ」と言い、大股広げてガッツリ

背もたれに凭れかかり座ったら、「それは辞

めろ、受罰初日から6日目迄お前に対して二

重丸をつけているので、オール二重丸で終え

ろと説得してきたので、「減罰の為にピシャ

っと座っていたのに、減罰無いならピシャっ

と座る意味ないんで」と説得を拒否した。

翌日の朝食後、職員がやってきて、解罰の言

い渡しと私物箱が返却された後、次の配役先

を言い渡された。次の配役先のF工場は紙の

加工、制作の工場だった。「またか…」と思

ったが、刑務作業なんてどれも単調で同じ様

なものだと思い直した。懲罰中に娑婆で仲良

くしていた友人からガテ(手紙)とタオルや

ハンカチ、眼鏡拭き、歯ブラシ、雑誌、漫画

等の差し入れがあったので受け取った。中で

も嬉しかったのが、菅野美穂ヘアヌード

真集だ。今は絶版となっているので書店では

買えないが、ネットで探したらあったみたい

なので送ってくれたみたいだ。俺が菅野美穂

を好きなのを知っているので、わざわざ送っ

てくれたみたいだ。その律儀さに感動した。

送り元の住所が書かれていなかったので返信

は出来ないが、出所したら巨乳好きの友人に

巨乳専門店の風俗店でも奢らないといけない

なぁと考えながら、馴れた手付きで作業を行

っていた。

またまたまたやっちゃった…3回目の調査と懲罰㊴

作業が終わり、夕食を食べ終わってから卓長

のところへ話しに行った。少し遅れてTも来

た。卓長Sが同じ卓のメンバーを呼んで集め

た。Sのグループは8人座れる卓を2つ占拠

していて1番大きくて若いグループだった。

裏番的存在のハーフ面だけ35歳で、残りは

20代前半の小僧ばかりだった。俺とTを誘

った理由は言わなかったが、この卓に加入す

るのであれば守って欲しい約束事があるとS

が切り出した。Sは卓長をしているので、他

の卓に行き、話しをする機会が多いみたいな

のだが、他の卓では卓内にいないメンバーの

悪口を言ったりするのをよく聞き、嫌悪感を

覚えると言っていた。そして、表面的な付き

合いじゃなくて、不満などがある時ははっき

りと言って話しあえる関係でいたいと付け足

した。正直、「若いなぁ」と内心思ったが、

そういう関係性は嫌いではないので入ること

にした。Tも俺が入るということで入ること

にしたみたいだった。罰明けで形成している

グループの年長者に訳を話し、「折角誘って

頂いたのに申し訳ないです」とお詫びを入れ

たら、「全然気にしなくていいよ」と言って

くれた。入ってみて直ぐに分かったのだが、

若い連中はハーフ面のOを嫌っていた。周り

から薬を貰うだけで返しの一つもない。年齢

もOが若い連中よりも一回りも上なのでどう

しても上からものをいう口調になる。

なのでOの周りには職業訓練の時に自爆テロ

を起こしたNちゃんや、新入が3人で8卓に

座り、もう1つの8卓は満席という状態だっ

たので自然とO側の卓に座る事になった。

Oは明るくてノリの良い面白い人ではあるの

だが、ジャンキーで薬でキマっている時はど

うでも良い武勇伝を語り出す時があった。

20代の若い頃、東京で闇金をしていた時に

新宿のクラブでK・Rのメンバーと揉めて殴

り合ったが、周りが止めに入った後は掛け合

いでK・Rのメンバーと和解し、お互いに認

め合い、腕をクロスさせた状態でぶっ潰れる

迄ショットで飲んだとか言っていた。靴下、

パンツ、シャツなどオール官物で、書籍も買

わなければ差し入れ1つない。そういう面で

判断するのは間違いかもしれないが、全然説

得力が無かった。俺はそういう話しを聞いて

も「凄いですね」と言った様ないわゆるヨイ

ショはしない。それが気に食わなかったのか

、ある時はどうでも良い武勇伝を語った後に

、「俺の方がダブルビよりヤクザやアウトロ

ーの世界を深く知っているから」と意味不明

なことを抜かしてくる始末。そんな過去の色

んな意味で終わった話しをするよりも、将来

の話し、出所してからの話しをしたかったの

で自然とTと話す機会が増えていき、シノギ

の話しなど互いの手の平を見せ合う迄話し合

える仲にまでなっていた。E工場の立ち作業

も慣れて、正担が醸し出すゆる〜い雰囲気に

も馴れてどんどんと過ごし易くなっていた。

作業が終わり、居室に戻り、正担と巡回担当

がホールからいなくなったのを確認してから

後頭部から耳の裏辺りを洗っていたら、ガッ

チャンとドアが開く音がした。そこには正担

と巡回がいて、正担から「何しとるんや」と

聞かれたので「耳の裏辺りを洗っていただけ

ですよ」と言ったら、近付いてきて後頭部を

触られ、「濡れとるやないか」と言い、電話

を取り出し、上に報告している様だった。

そこにのび太に似ている主任が来て、処遇調

べ室へ連行され、「不正洗髪の違反事項で調

査に処する」と言われ閉鎖ユニットへと連行

された。約1ヶ月ぶりに戻ってきた。

完全に上がり癖がついてしまっていた。

いい歳こいたオッサン共が馴れ合うのはマジでキモい、まるで女子校㊳

次の配役はE工場となった。

立ち作業なので、飯も特A食となった。職業

訓練で自爆テロを決行してくれたNちゃんや

地元が同じ人が2人もいたので安心感が湧い

た。ただ、このE工場もホールで座る場所は

完全固定化されていたし、各々の卓には卓長

がいた。同じ懲罰明けで、同じ日に配役され

たM尾と誰も使っていない卓があったので、

対面して座り、「懲罰は何日だったか」とい

った何気ない世間話しをしていたら、2人組

のおっさんが、他の席がガラガラに空いてい

るにも関わらず、わざわざ俺らの隣に座って

きて話し始めた。2人のおっさんの話しを聞

いていると、「ここの卓は今日は使うのか」

「Sさんが居室から出てきたら聞いてみる」

といった内容の会話をしていた。新参者は座

るなと明から様に牽制してきた。文句がある

ならハッキリと言ってこいやと腹が立ったの

で、そのままシカトしてM尾と話しを続けよ

うとするも、M尾はやたらとソワソワしだし

て、その2人のおっさんに対して、「ここ座

っても大丈夫なんですか」と丁重に確認をし

たら、「いいよ」ということだったので、そ

のまま話しを続けていた。おっさん2人は元

いた座席へと戻っていった。そしたら次は別

の卓の20代半ばくらいの卓長が来て、「そ

この卓を使わないで下さい」と言ってきたの

で、「誰も使ってねえから別によくない」と

答えたら、「これから使う様になったんです

よ」と屁理屈こいてきたので、「工場長は空

いているところを使っていいと言ったけど、

工場長より君の方が偉いの」と聞いたら、

「そういう訳ではないんですが、人員も増え

て使う様になったので、すいませんが空けて

下さい」と丁重に言い返してきた。「てめえ

は何様だ」と怒鳴り散らしたかったが、懲罰

に上がりたくなかったので、仕方なく空けて

あげて居室へ戻ろうとしたら、懲罰明けで形

成しているグループから誘いの声がかかった

のでそこに座ることにした。怒りも収まって

いなかったので、そこの卓の人達に、「この

ルール何なんですか、マジで意味分かんない

ですよ、切れそうになりましたよ、危なかっ

たです」と言ったら、そこの卓の年長者が、

「ここのユニットは新入や罰明けで新しく来

た人間には冷たく、排除してくるガキ臭い奴

が多いから気を付けて」とアドバイスをして

くれた。翌日、新入で入ってきたがたいの良

いTが運動中1人でウォーキングをしていた

ので、話しかけた。川越少刑から移送されて

きたとのことだった。昨日起こった出来事と

、「新参者には冷たいユニットみたいだよ」

ということを伝えたら、「女みたいなことを

してくるんですね、女子校じゃないですか」

と笑っていたのが可笑しくて、つられて笑っ

た。波長が合ったので話しが盛り上がってい

るところに、昨日「どいてくれ」と言ってき

た20代の卓長がやってきた。

「次はなんや」と内心イライラしていると、

「良かったら今日から2人自分達の卓が空く

ようになったので座りませんか」と言ってき

た。昨日の今日なので即答出来かねたので、

「今日の作業終わってから、話す感じでもい

い」と聞いたら、「ちょっと待って下さい」

と言って、ベンチの方に走っていき、誰かと

話していた。そしてまた走って戻ってきて、

「分かりました」と言ってきた。続けて、

「Tさんはどうしますか」とTに聞いたら、

Tがチラッとこちらに目配せをして、「自分

も今日きたばかりで、右も左も分からない状

態なので作業終わってからでもいいですか」

と答えたら、「分かりました」と言って、

またベンチの方へ走って行き、さっき話して

いた者に報告をしていたみたいだった。その

ベンチの男はハーフ面で、年齢は30半ばか

ら後半に見えた。昨日の「どいてくれ」と言

ったことや、今誘ってきたのも、あのハーフ

面の根回しだなと納得した。そう思うとイラ

イラが増幅してきた。

調べで主任に屁理屈こねたら、奇声を上げて発狂した㊲

翌日、午前中の運動は単独だったのでマット

を敷いて雲一つない青空を見ながら腹筋を中

心にトレーニングを行った。運動後入浴が終

わってから早速調べがあった。調べ担当の主

任は、喧嘩もしたことがないような、のびた

君みたいな人だった。主任の「称呼番号、氏

名」の掛け声の後に自分の称呼番号と氏名を

伝えて椅子に座った。主任は椅子に座って早

々、制帽を机の上に置き、上目遣いで睨めつ

けてくる様な視線を向けて、「お前のストー

リーを語ってみんかい」と粋った口調で言っ

てきた。なので、「生活の心得を読まれたこ

とはありますか、そこには自分の受刑者とい

う立場をしっかりと理解して生活するように

と書いていますよ。受刑者が国家権力に対し

てストーリーを語ったところで無駄なんじゃ

ないですか」と冷めた口調で答えた。すると

「キョエ〜」と意味不明な奇声を上げた後、

「終わり、終わり」と言って調べを終わらせ

て居室へ戻された。翌日また調べがあった。

調べ担当が変わっていた。銀三本線なので階

級的には昨日の主任よりは下になるのだが、

心を掴むのが上手い上に、話しも面白く、頭

の回転も早い。違反事項について否認をしよ

うと思っていたのだが、担当官から、「主任

クラスに現認されたら否認しても間違いなく

違反事項として認定される」と言われた。

「認めれば、不正洗髪と反抗で15日だと思

うが、否認したら5日伸びて20日になると

思うぞ」と説得力のあることを言われた為、

「じゃあ認めますので、心証の良い調書をお

願いします」と頭を下げた。翌日、懲罰審査

会が開催され参加した。(強制ではない)

部長からは、「大人気ないよ」と一言。統括

からは、「注意を受けているのにやり続ける

その態度が気に食わんのじゃ」と呆れた口調

で言い放たれた。昼食後、受罰の言い渡しが

行われた。予想した通り、15日間の閉居罰だ

った。前回の懲罰から間もないし、暑いので

イライラした。長く感じた。このイライラを

解消する為に、休憩時間や受罰時間終了後に

筋トレで自分を追い込み、ストレスを解消し

た。当然、隙を見て汗でダラダラになった髪

と身体をシャンプーと石鹸を使用して洗い流

した。土曜日に受罰が明けて私物箱が戻され

た。砂漠の中でオアシスを見つけた様な潤い

を感じた。土、日曜日は免業日(休日)で月

曜日は矯正指導日となる為、配役は火曜日に

なる。月曜日に運動会が実施されていた。外

からは応援歌や歓声が聞こえてくる。去年は

雨で中止になったし、今年は懲罰の為に不参

加。もしも来年参加出来なければ、獄の中の
運動会を体験することなく出所となってしま

うので、是非とも参加したいと特別菜のコカ

・コーラとブルボンクッキーとスナックエン

ドウを食いながら考えていた。

真夏の刑務所の暑さと臭さ。作業席が横のハーフのあだ名はドリアン㊱

懲罰が終わり閉鎖ユニットから解放されるこ

とになった。朝食後に主任が居室まで来てD

工場への配役を言い渡された。D工場へ連行

されている途中に職員から、「D工場は厳し

い工場なので、頑張るんだぞ」とアドバイス

を受けた。D工場に着いてから、工場長から

D工場のルール等の説明があった。人とまと

もに長い時間話すのは1ヶ月ぶりなので、

説明に対して頭がついて回らなかった。

作業は拡大鏡を使った部品の検品作業。閉鎖

ユニットで調査期間中に課せられる鶴折り作

業並に単調な作業だった。ホールでは座る場

所が完全に固定化されている上に、卓長とい

う存在がいる。その名の通り、卓のメンバー

のボスでまとめ役だ。卓のメンバーが他の卓

のメンバーと揉めた場合は各々の卓長同士で

話し合いにて解決し、喧嘩防止の役割なども

担っていた。ただでさえ拘束されているのに

作業が終わってからもガチガチの人間関係で

固めるというのが自分には合わなかったので

基本的には居室内で過ごすことにした。何人

かの卓長から、「うちの卓に入らないか」と

いう誘いはあったが、資格試験の勉強をして

いるのでと嘘をついて角が立たない様にやん

わりと断った。運動の時間も同じ卓のメンバ

ーで過ごすという徹底ぶりはある意味凄いと

思った。なので、運動時間は誰にも邪魔され

ることなく、一人で黙々と誰よりも筋トレを

行うことができた。8月の真夏なので運動後

はシャワーを浴びたように汗をかく。ベタベ

タして気持ち悪いし、工場内はサウナの様に

暑い。正担の嫌がらせかどうかは分かりかね

るが、俺の作業席の隣は日本とアメリカのハ

ーフで強烈なワキガだった。しかも口臭も強

烈だった。ドリアンというあだ名がつけられ

ていた。作業中、作業の段取りなのでドリア

ンが俺に用件がある時は、右手を垂直に上げ

て「ハイ」と言った後、担当が「用件」とい

うので、「〇〇さんと作業の件で交談許可を

お願いします」と言う。俺の作業性はドリア

ンの右側になるので、脇が解放中は凄まじい

臭いが発せられる。なのでその時は必死に息

を止めて吸い込まない様にするのだが、誤っ

て吸い込んでしまった時は殺意が湧く。

そんな地獄の様な作業時間だったので、作業

が終わって居室に戻ってからは、刑務官がい

ないのを確認してから入念に首筋から顔、髪

を洗うルーティンが出来上がっていた。地獄

の様な作業時間が終わり、いつもの様に髪と

顔を洗っていたら急にカンと音が鳴り、食器

口が開き、「そのままこっちに来なさい」と

言われたので、「今、目に石鹸がついている

ので来れませんよ」と言ってダッシュで顔の

石鹸を洗う様にして髪のシャンプーを洗い流

した。その間も食器口から、「いいから早く

こっちに来なさい」と言ってくるので、「目

に石鹸が入っているのでちょっと待って下さ

いって」と強めな口調で言い返し洗い流した

ところでタオルで顔を拭く様にして髪を拭い

た。どうせ巡回の下っ端の刑務官だろうと高

を括って眼鏡をかけたら金線の主任だった。

「ヤバッ」と胸の中で叫んでいた。居室のド

アが開き、「お前、髪洗っとったな」と言わ

れたので「洗っていないですよ」と答えた。

すると話しを変えて「こっちに来いと言った

のに何で来なかったんだ」と言われたので、

「だから目に石鹸が入りそうだったからです

よ」と言い返したところ、「出ろ」と言われ

てそのまま処遇調べ室へと連行された。暫く

して統括がやってきて、「不正洗髪と反抗の

疑いで調査に処する」と言われ、またしても

閉鎖ユニットへと連行されることになった。

たったの2週間で閉鎖ユニットへ戻ることに

なってしまった。