刑務所獄中記【人の不幸は甘い蜜】刑事施設拘束1530日

自分よりも不幸で不運な人がいることを知ることで、悩んでいる人や迷っている人に少しでも元気を与えることが出来れば良いなと思います

リアル版精神と時の部屋、「暴行」反則事案で閉居罰15日間㉟

閉鎖ユニットというだけありホールには会話

をする為の机や椅子はない。各居室の窓には

外側から濃いスモークが張ってあるので、外

からは居室内を見ることはできるが、居室内

からは外を見ることができない。居室内には

TVが備え付けられていない。ラジオは懲罰

期間以外は自由に聴くことができる。運動は

午前中に30分間4畳程の広さの中で行うこ

とができる。単独で運動する場合もあるが、

基本的には2人で1組となるので、波長が合

う人とは話しをしていた。食事は食器口から

入れられる。入浴は15分間。調べがある時

は調べ室へと連行される。それ以外は医務や

面会など特別な用がない場合は居室内に閉じ

込められる。話しが出来なくても苦でない者

にしたらなんてことないが、話し好きの者に

はきついことだ。溜まったストレスを壁など

にぶつける者もいてバァーン、バァーンと壁

を叩く音が響いてうるさかった。静かに生活

している者からしたらたまったもんじゃない

あちこちから、「静かにしろクソガキが」と

いった言葉や、「言葉にすることができない

から物にあたるなんてゴリラだな、動物と一

緒だな」といった冷やかし言葉がしょっちゅ

う飛び交っていた。調べの期間は2週間で2

回行われた。暴行という反則事案で15日間

の閉居罰が言い渡された。閉居罰となれば、

本など私物箱が丸ごと取り上げられる。居室

内に残していいのは歯ブラシやタオル、石鹸

やシャンプーの生活用品だけ。作業時間の7

時45分から16時45分迄は椅子を白い壁

の対面に向けて座ることになる。ゆいつの楽

しみは、19時〜19時30分迄のラジオか

ら流れるNHKニュースだけ。19時30分

を過ぎたら居室の外側からラジオのスイッチ

が消される。入浴と運動にも制限がかけられ

る。入浴だったら月曜日は入浴時間は15分

だが、水曜日はシャワー浴となり5分間で金

曜日は入浴時間15分間といったローテーシ

ョンになる。運動は木曜日の週1回だけとな

る。最初の10日間は考え事などして気付き

も多くあり、スーッと流れる様に早く時間が

流れていったが、残りの5日間は夏の暑さも

重なり、ストレスが半端なかった。なので休

憩時間には腕立て伏せなど筋トレをしてスト

レスを解消するようにした。汗ダラダラなの

で髪を洗いたいが、居室で洗うと不正洗髪と

なり、懲罰の対象となるので職員が他の懲役

と話している間にダッシュで洗うなどしてや

り過ごした。

9ヶ月ぶりにA工場に戻ったら、元組関係者や半グレばかり㉞

次の職業訓練には渡れなかったので、9ヶ月

ぶりにA工場に戻った。人員ががらっと変わ

っていた。他工場で喧嘩をしてA工場に配役

された解罰明けの者や、F県の元Y組系組員

〇〇の元S会系組員の新入達と特に仲良くし

ていた。懲役という人種は平気で嘘をつく者

が多い。Oという新入が新たにA工場に配役

されてきた。詐欺の指示役と言っていた。

ネタ元はD会を破門になった半グレという。

それを仲良くしていた皆に何となく話した。

F県の元組関係者のOKちゃんは、「D会を

破門になった半グレからのネタなんて聞いた

ことがない」と言っていた。そこで他工場で

喧嘩をして上がってきたKがOに検事調べを

したところ、「ネタ元は政治家」と言った。

俺が嘘を言ったみたいで変な感じになったの

で、「どっちが本当なんや」と詰めたら、

「政治家の息子に不良関係者と付き合いをし

ている奴がいるので、そいつから話しを回し

てもらった」と言ってきた。なので、「お前

俺に平気で嘘をついているけどどういうつも

りなの」と聞いたら、「配役されたばかりで

アップアップだったので事実とは違うことを

言ってしまいました、すいません」と侘びて

きたので、それ以上詰問することもせず、関

わることもしなかった。だがKはそれだけで

は許すことが出来ず、「上がれ」と脅すよう

になっていた。Oは「今、職業訓練に応募し

ていまして、行けなかったら上がります」と

言っていた。それでもKは何かにつけて、

「今日、点検拒否しろ」と言ったり、「作業

拒否しろ」と強要がどんどんエスカレートし

ていった。土曜日の免業日朝食時、居室から

Oが出てきたタイミングを見計らってKが出

て来て、「てめえ出てくんなコラ」と怒鳴り

つけた。偶然にもホールでの食事の席は俺の

正面がOだ。Oの顔を見たら顔面を真っ赤に

して怒りを堪えていたので、なだめるように

「今日はもうホールに出らずに居室にいた方

がいいよ」とアドバイスをしたつもりだった

が、「そんなことを言われなくても分かっと

るわ」と俺に対してキレてきたので、机を押

してOを倒した後に、倒れたOの胸ぐらを掴

み壁に叩きつけたところで職員達が雪崩込ん

できた。両腕を職員2人から片方ずつ固めら

れて処遇調べ室へ強制連行された。その様子

を民間の警備員がハンディカメラで撮影をし

ていた。処遇調べ室で話しを聞かれ、調査と

なり、それから閉鎖ユニットへ連行された。

閉鎖ユニットは薄暗く、少し不気味な感じが

した。

チリ紙の不正使用という極めてダサイ反則事案で調査に上がったW㉝

これでWは完全に孤立して、四面楚歌の状態

になった。ホールですれ違ったりする度に、

自分も含めた何人かから、「潔く点検拒否し

て消えろ」と怒声を浴びせていたが、気付か

ないふりをしていた。NちゃんとUが去った

翌日の正月の昼頃、巡回している職員に気付

かず、チリ紙にMに向けてガテを書いていた

ところを見られて職員に連行されてC工場を

後にした。チリ紙の不正使用という極めてダ

サイ上がり方だったので拍子抜けした。もう

ちょっとやれるのかなと思っていたので、期

待を裏切られたみたいでガッカリした。でも

まあ所詮はスーパーA級刑務所なんてこんな

もんだろうと考えを改めた。10月頃に購入

した中村天風の「運命を拓く」が届いた。

 

拘置所では「心理の響き」に何度も助けられ

 

たので、他の本も読んでみたいと思ったので

購入した。「心理の響き」では、中村天風

教えがコンパクトに書かれているのに対し、

「運命を拓く」では生い立ちからヨガの哲人

になるまでのストーリーも書かれており、改

めて超越した偉人だと深く感銘を受けた。

ペーパードラッグとでもいうのだろうか、

読み終わった後は高揚した。

C工場での3ヶ月間は足の引張合いだった。

でもこれが刑務所においてのスタンダートだ

とも思った。前回の半年間の職業訓練は例外

中の例外だった。

年末年始の特別菜(お菓子)を賭けて将棋をした結果Uが全勝するも㉜

ユニット制限がかけられて2週間が経った。

犯人も分からないままで、これ以上制限を続

けても懲役の不平不満が溜まるだけだと判断

されたかどうかは分かりかねるが、ユニット

制限が解除された。俺が詰め寄ったMと、M

と特に仲良くしていたKは揉め事に巻き込ま

れたくないと思ったのだろう、Wと次第に距

離を取るようになった。WとUは相変わらず

常に一緒にいた。MとKが少しづつ距離を置

きだしたことにより、一層絆が深まっている

ように見えた。1年の終わりが近づいていた

12月中頃、Nちゃん(22歳)から提案も

兼ねた相談を受けた。年末年始の連休には特

別菜といってお菓子が配布される。UからN

ちゃんに対して、そのお菓子をかけた将棋の

勝負をしようという話しをもちかけられたの

で、その話しに乗ったところ、全敗してしま

い、特別菜を全てあげなければいけなくなっ

たということだ。Nちゃんは将棋の腕には多

少自信があったみたいなのだが、Uの将棋の

腕前には全く歯が立たなかったみたいだ。勝

負事なので本来ならば有無をいわさずあげな

ければいけないのだが、相手がUとなれば話

しは別だ。「連休に入ったらチリ紙を入れる

袋を渡すので、それに入れ毎回渡すように」

とUから言われているみたいだ。その袋を渡

された段階で職員に、「Uから菓子を渡すよ

うに強要されている。それが職員に見つかっ

たら、この間みたいにユニット制限がかかっ

て皆に迷惑をかけるのが嫌だったので上がり

ます」と言えばUも確実に上がる事になる。

NちゃんもU達の勝手気ままな横暴さに腹を

立てていた。自分が犠牲になってUを道連れ

にして一緒に上がってもいいのだが、紅白歌

合戦など普段放送されない番組が見れなくな

ることに対して本当にこれでいいのかと葛藤

していた。なので、「刑務所にいる限りどこ

にいようが一緒だ。俺がNちゃんの立場なら

道連れにして絶対に上がる」と伝えたところ

「そうですよね、じゃあ行ってきます!」と

言った後、「紅白見たかったですよ〜」と言

ってきたので「他の皆もNちゃんと同じ立場

になったら道連れにすると思うよ」と説得す

るように言ったところ、「そうですよね、来

年は年男なので戦ってきます」と笑顔で言っ

た。完全に腹を括ったみたいだ。大晦日、U

がNちゃんに予定通りチリ紙の袋を渡してき

た。Nちゃんはそれから居室に戻り、セルコ

ール(職員に繋がる電話)を押して駆けつけ

た3人の職員に連行されC工場を後にした。

Uは俺と居室が隣なのだが「ハァ〜」と深い

溜息を何度も吐いていた。それからしばらく

してUの居室に3人の職員がやってきた。隣

だからよく聞こえたのだが、職員が、「何の

ことか分かるな」と聞くと「分かりません」

と鉄板を張っていた。でもそんなことを言っ

たって結果は一緒、Uも職員から連行されて

C工場を後にした。その際に、いたるところ

の居室から「おめでとう」や「バイバーイ」

「ドンマーィ」、「下手打ち〜」といったU

を馬鹿にする言葉が発せられていた。

群れていないと粋がる事が出来ない女々しくてキモい人種㉛

W一派は運動中も常に4人で一緒にいる。

1人では何にもできねえ肝っ玉の小せえ人間

カス同然だと感じ始めていた。俺は大阪のN

さん(35歳)達と仲良くやっていた。工場

の食堂の席はNさんが左斜め前で、左隣には

W一派の全身入れ墨だらけのU(25歳)だ

った。NさんとUは正面になるのだが、一言

たりとも話しをしないので、Nさんとばかり

話しをしていた。Nさんがトイレに行った時

などにUが話しかけたりしてくるのだが、つ

まらないし、女々しい奴らだと思っていたの

で自分からは絶対に話しかけなかった。その

雰囲気にUは気まずくなったのだろう、食堂

での休憩時間になるとUは毎日爪を切る為に

席を離れるようになった。思った通り、一人

では無力な人間だと感じた。俺の一番嫌いな

人種だった。1日の訓練が終わり、更衣室で

作業服から居室着に着替えている時にNさん

が、「アイツ喧嘩売ってきたな」と怒った

表情で言ったので、「どうしたんですか」と

聞いたら、「俺の前を通り過ぎる時に舌打ち

をして、ガンたれてきた」と怒った口調で言

ってきた。Nさんは着替え終わった後、Uの

ところへ行き、「何か文句あるんかい」と言

ったら、Uが、「ハイッ」と右手を上げて、

「Nさんと交談許可お願いします」と正担に

許可を求め、許可された。そのUの行為は非

常にダサかった。「お前さっきガンたれた上

に舌打ちしたやろ」と言ったら、「していま

せん」の一点張りだった。「おめえ全身に入

れ墨入れて態度も太いのに喧嘩の1つもやれ

んのかい」とUを挑発したが、Uは何も返す

ことが出来ず、正担が止めに入り、その場は

収まった。Uに対し、つくずくダセエ奴だな

とドン引きした。この揉め事を発端にして、

仕掛けてやろうと心に決めた。ホールでの夕

食の際、テーブルの正面はW一派のM

(23歳)だ。夕食が終わり下膳の時に机の

下からMのテーブルを蹴り上げた。Mは一瞬

キレた顔をしたが冷静に「何するんですか」

とぬかしてきたので、「スリッパ隠すような

しょうもないことしたのはお前らやろ、ユニ

ット制限かかって皆イライラしとるから白状

してくれ」と言ったところ、「どこにそんな

証拠があるのですか」とほざいてきたので、

「そんなんで通用すると思っとるんやボケが

お前大分ふざけとるね」と言ったところ、

「ユニット制限かけられて迷惑しとるのは自

分も一緒です」とぬかしてきたので、「じゃ

あお前以外の3人のうちの誰かってことでえ

えとや」と言ったところ、黙りこんだ。「仮

にお前がしとらんでも、W達と一緒に行動し

とったらお前もアイツらと同じに見られるん

は分かるや」と聞いたところ、「はい」と答

えたので、「悪いと思っとるならちゃんと謝

れや、皆に謝りに回れとは言わんから」と言

ったら、「すいませんでした」と侘びてきた

ので、それ以上は何も言わなかった。Wを本

丸とするならば、外堀は簡単に崩した。最後

はWだけ。上げる機会を虎視眈々と狙ってい

た。

懲役あるある、呆れる程ガキ臭い新入イジメ㉚

体育館で職業訓練の入退出が終わった後C

工場へと移動した。資格試験などなく、ハイ

スペックなPCを使っての動画編集の職業訓

練となるので、20〜30代の比較的若い懲

役がほとんどだった。Wという35歳の懲役

が、22〜25歳の若い懲役3人と徒党を組

んで弱い者イジメをする様になった。理由は

食事中に新入が咳をしたにも関わらず、

「すいませんでした」と言わなかったという

非常に幼稚でくだらないものだ。W一派の者

からそのことを指摘されて、その新入は皆に

謝罪に回った。確かに皆が気を付けているこ

となので、その新入に懲役ルールというもの

を教えたと捉えていたのだが、次は、「注意

指導をしてあげたにも関わらず、謝罪の挨拶

がないという理由で、礼儀を知らなすぎてむ

かつくので作業拒否をして上がれ」と脅迫し

てきた。なので、そんなことする必要ないか

らシカトしとけというのが自分も含め他の大

半の懲役の意見だった。その一連の出来事を

誰かが正担にチンコロしたので、それから作

業が終わってからなどの隙間時間に正担が、

「勝手にルールを作り上げて好き勝手やっと

る奴らがおるみたいだけど、いつまでもそん

な事が通じると思うなよ、次そういう事をや

ったら上げる(調査・懲罰)からな」と周知

するようになった。馬鹿げているが刑務官に

対して受刑者の悪事をチンコロ(ちくる事)

することは懲役の間でタブーとされている。

なので、誰がチンコロをしたのかという犯人

探しがW一派の間で始まった。だが筋が通っ

ていないのはW達なので協力するものは皆無

だった。ある日風呂上がってから新入のスリ

ッパが紛失していることがあった。刑務官が

何人も来て探し回ったが見つからない。新入

はとても困惑した表情をしていた。懲役の間

でも刑務官の間でもW一派の仕業だというの

は分かっていたが証拠がない。被害者は新入

の筈なのに、その日のうちに新入は調査に上

げられた。W一派達は目線を合わせて爆笑を

堪えていた。それを見て、「このドチンピラ

が」という怒りが沸々と湧いてきた。翌日の

作業終わり主任が、「昨日スリッパが紛失し

た件で、誰がやったのかも分からない状態で

ホールを開放することは出来ないので、今日

からホール制限をかける」と言った後に、

「後から見つかるのと、自分から認めるので

は懲罰も大きく変わってくるので、やった奴

は名乗り出て来るように」と言い足した。

こういうことが起こると必ず「自分から名乗

り出てくるように」と言うが、名乗り出てく

る奴なんて絶対にいない。ホール制限がかか

ると作業終了後の余暇時間にテーブルで話し

をすることができない。ホールで出来るのは

備え付けの新聞を読むことくらいだ。あとは

居室内で本を読んだりして過ごすしかなくな

る。それはストレスへと変わり、その矛先は

W一派へと向けられることになる。

充実している職業訓練と、無期懲役受刑者、見達大和の本との出会い㉙

職業訓練の際には毎回体育館にて職業訓練

入退出が行われる。職業訓練を終えた者達と

これから職業訓練を受ける者達に対して、

幹部職員から激励の言葉をかけらる。「職業

訓練の受講を無事に終了した者に対してはそ

れなりの評価をするが、途中でトラブル等の

問題を起こして調査、懲罰に上がる者は、一

般工場でそれをするよりも思い罰を与える」

と壇上からこれから職業訓練を受ける懲役に

対して釘を刺した。1時間程で入退出が終了

し、新しいB工場へとキャリーケースを押し

ながら移動した。翌日から早速職業訓練が始

まった。テキストに則って民間の講師が講義

を始める。A工場では物凄く単調な作業だっ

たので、それに比べると天と地ほどの差を感

じた。先輩受刑者が言っていた、天国のよう

に感じるというのは本当だった。オラオラ粋

がっている奴もいなかったのでとても過ごし

やすかった。職業訓練に選ばれてきている人

は、罪名はともかく、知能犯の割合が多かっ

た。その中でも特に仲良くしていた人は、年

齢は50代で自分と比べても遥かにビジネスな

どにおいて経験が豊富で金も持っているので

余裕があった。話していて勉強になったし、

とても楽しかったので、職業訓練の6ヶ月間

はその人とばかり話していた。ある日、備え

付けの読売新聞の広告欄を見ていたら、女子

高生サヤカが学んだ「1万人に1人」の勉強法

〜知的すぎる無期懲役囚から教わった、

99.9%の人がやらない成功法則〜

 

というタイトルの書籍の広告が目についた。

その無期懲役囚というのは美達大和(ペンネ

ーム)という人で、留置所で、「人を殺すと

はどういうことか」という美達大和氏の本を

読んで印象に残っていたので、購入した。

 

本のタイトル通り美達大和氏さんはとにかく

頭脳明晰で、女子高生サヤカと文通していく

上で、サヤカがどんどん成長していくという

ストーリーはとても面白かった。美達大和さ

んの妥協せず、目的、目標は何が何でも達成

するという生き方、強靭な肉体、精神力を築

き上げる為に何十年と続けている筋トレやハ

ードワーク、仮釈放を放棄して獄中死を決め

ているにも関わらず、向上し続けることを決

して諦めず、養護施設に寄付を続けていると

いうことを知り、大きな衝撃を受けた。それ

からは美達大和さんの本を買い漁った。

牢獄の超人

 

刑務所で死ぬということ〜無期懲役囚の独白〜

 

死刑絶対肯定論

 

を立て続けに読んだ。

特に、牢獄の超人は美達大和さんが収容され

ているLB刑務所の実態がわかり易く書かれ

ていたのでとても読み易く、とても面白かっ

たので、何度も読み直したし、同囚にもオス

スメ本として勧めた。同囚も面白いと言って

いた。美達大和さんという生き方にインスピ

レーションを受けて、先ずは運動時間に筋ト

レ、ハードワークを行うことから始めること

にした。ガキの頃から運動神経は良かった。

他の教科は通知表の5段階評価のうち2とか

3ばかりで5など一度も取ったことはなかっ

たが、体育だけは大体5で、悪くても4だっ

た。小学校の頃はサッカーと空手を習ってい

た。中学に入ってからは空手は辞めたが、サ

ッカーは高校1年の夏頃まで続けていたし、

社会人になってからも適度に運動はしていた

ので基礎体力はあると感じていた。運動時間

は30分程度しかない。なのでランニングなど

有酸素運動は5分以内に抑えて、残りの時

間は腕立て伏せを中心とした筋力トレーニン

グを1人でストイックに行った。筋トレをや

っているグループから一緒にやろうと誘われ

て、何度か一緒にやった事はあるのだが、し

っくりこなかったので、運動時間は1人で真

冬でも汗でダラダラになる迄ストイックに時

間一杯まで続けた。最初のうちは腕立て伏せ

×30を5セット、指立て伏せ×10を3

セットといった具合に小分けして回数をこな

していたのだが、次第に腕立て伏せ×50を

4セット、指立て伏せ×25を2セットと

いった具合に連続で行う回数を増やしていく

ことにした。継続は力なりとはよく言ったも

んで、いつの間にか腕立て伏せ連続200、

指立て伏せ連続50をこなせる迄になって

いた。それくらいから腹筋、背筋、下半身、

インナーマッスルの筋力トレーニングにも

以前よりも時間を割くようになったが、

メインは腕立て伏せにした。それは何故かと

いうと、自分の中では腕立て伏せが単純に1

番キツイからだ。肉体を鍛えるということと

同じくらいに、いや、それ以上に精神を鍛え

るというのが目的だからだ。胸板は厚くなり

腕は太くなり、腹は割れて、太腿は太くなっ

た。体は日を増す毎にどんどんとゴツくなっ

ていた。それに比例して精神力もごつくなっ

たと言いたいのは山々だが、精神力はまだま

だ未熟だった。資格試験にも無事に合格して

あっという間に半年の訓練期間が過ぎていっ

た。訓練中に職業訓練の募集がかかっていた

ので応募していた。目立ったこともしてない

し、資格も無事に取れたし、職業訓練から職

業訓練には渡りやすいと先輩受刑者が言って

いたので渡れるだろうと思っていた。職業訓

練の入れ替えの言い渡しは月曜日の矯正指導

日の13:00〜13:30の居室内運動時

間中に言い渡される。単調作業のA工場には

戻りたくねえなと思いながら筋トレをしてい

たところ、外側から居室内のドアが開き、職

員から、「C工場の職業訓練になるので移動

の準備をするように」と言われた後、キャリ

ーケースを貸与された。これで3ヶ月間刑期

が削れると思うとテンションが上がった。秋

から冬に差し掛かる時期で、すっかり肌寒さ

を感じるようになっていたが、タンクトップ

一枚で汗で床に汗溜まりが出来ていた。時間

一杯まで筋トレを行った。

配役された工場の担当刑務官は所内でトップクラスの気違いで有名㉘

考査期間が終わり、A工場への配役が言い渡

された。座り作業で、拘置所と同じ紙袋の制

作作業なのでお腹いっぱいだった。工場の世

話役が居室が隣室のI君を紹介してくれた。

運動時にグランドをI君とウォーキングをし

ながら、A工場について色々と教えてもらっ

た。先ずは、とにかく正担(担当刑務官)が

気違いで、かなりの神経質で、マークされた

らネチネチと注意、指導してくるから気をつ

けるようにと助言を受けた。I君は窃盗の2

刑持ちで懲役2年8ヶ月とのことだった。

仮釈放4ピンで計算すると、1年半後には出

られる筈だと言っていた。「何をしたの」と

聞かれたので「強盗」と答えると、「あまり

仮釈放もらえないと思うよ」と言われた。

I君が入所して見てきた中で、「強盗」で仮

釈放を1番もらっていた人で6ピンだったと

いう。しかも懲罰、始末書1枚も無しで。

10ピンなんていうのもざらだと聞いて大き

なショックを受けてしまった。被害者に対

して被害弁済も断られたし、被害者からは

「出来る限りの最大の刑事罰を与えて欲し

い」とも言われているので、仮釈放なんて

もらえたらラッキーだという風に考えざる

を得なくなった。だったらそれなりの努め

方をしていこうと考える様になった。毎週末

I君と雑誌の不正授受をやっていたし、

「生活の心得」という受刑生活の過ごし方が

記載してある冊子に書いてあるルールを守ら

なかったりして、免業日の巡回担当に注意、

指導を受ける事が度々あった。免業日に受け

た注意、指導は作業日に正担に一々報告をし

なければならない。報告すれば怒鳴り散らさ

れ、萎縮させて従順な下僕にするのが目的だ

と途中から思いだしたので、ある日、あえて

報告をしないことがあった。すると作業中に

担当台から名前を呼ばれて、「お前、ワシに

何か言うことはないんかい」と聞いてきたの

で、「あっ…」と答えたら、「何があっじゃ

、なめとるんかお前は、所動作も出来なけれ

ば報告も出来ない、お前新入よりもできとら

んぞ」と絶叫され怒鳴られた後、「次の3時

の休憩迄にしっかりとか考えをまとめて報告

に来い」と言い放たれた。あまりにも激しい

怒鳴られ具合だったので、周囲の目を感じず

にはいられなかった。3時の休憩時間になっ

た。もうふっきれていた。正担に対して、

「報告しなかったのはすいませんでした」と

伝えたところ、「お前他の工場だったらとっ

くに上げられとるぞ」と言ってきたので、

「上げられるとはどういうことをいうのです

か、分かりません」と言ったところ、「お前

は病気なんか」となめたことを言ってきたの

で、「そうかもしれませんね、だったらどう

だって言うんですか」と聞いたところ、「よ

だれを垂らしたり、独言をブツブツ言ってい

る様な精神面で病をかかえている懲役が多く

いる工場で生活するということになる」と脅

しともとれることを言ってきたので、「あな

たが俺に対してそう判断するのであれば、そ

うして下さい」とキッパリ言ったら、「それ

はもう少し様子を見て決めさせてもらう」と

言われて3時の報告は終了した。その一件

以来、俺に対する対応は柔らかくなった。

コイツはキレたらやる奴だと感じたのだと思

う。他にもこの正担には新入時に色々と嫌が

らせを受けた。元々イジメられっ子で、刑務

官という職業についてから今迄のイジメられ

てきた鬱憤を受刑者に投影して晴らしている

のだろう。心底根性の腐った奴で、機会があ

ればボコりたいと思う程だ。先輩受刑者から

職業訓練に行くことを勧められた。「ここ

(A工場)に比べたら天国の様に感じると思

うし、時間が経つのが早い」ということなの

で、職業訓練の募集がかかったので、直ぐに

応募した。職業訓練に行きたいが為に注意、

指導を受けない様に気を引き締めて過ごした

。いつもの様に1日の作業が終了した後、正

担が「今日限りでA工場の担当を退くことに

なりました。明日からは新しい担当が来ます

。社会で待っている人のことを考えればヘラ

ヘラ笑っている時間なんて全くないと思いま

す。そのことをしっかりと考えて残りの受刑

生活を送るようにして下さい」と周知があっ

た。「ヨッシャー」と雄叫びを上げられない

代わりに、腹の中で万歳三唱した。次の正担

は中肉中背で穏やかな雰囲気を醸し出してい

た。申し出をしても忘れてたりするポンコツ

な面はあったが、前担当者に比べたら断然良

かった。娑婆にいる時はほとんど毎日酒を飲

んでいたし、時々ガンジャも吸っていたので

眠剤を飲まなくても寝れていた。だが、逮捕

されてからは日に日に眠りが浅くなってきて

いた。時には一睡も出来ないという日もあっ

た。そんな状態での懲役はかなりしんどい。

前担当者は薬に頼るのを許してくれなかった

ので、申し出で医務願箋をお願いしても却下

されていた。全否定はしないが、気持ちの持

ち様でどうにでもなるという時代にそぐわな

い考え方をする人だった。新しい担当に申し

出で「不眠の為、医者に見てもらいたいので

医務願箋をお願いします」と伝えたところ、

「担当が変わった瞬間に許可すると、上から

俺が注意されるから来週迄待ってくれ」とぶ

っちゃけられたので、顔を立ててその通りに

した。医務願箋を出してから約1ヶ月後にな

ってやっと診察が回ってきた。不眠の症状を

伝え、娑婆ではロヒプノールを服用していた

ことを医者に伝えたら、すんなりと明日から

処方してくれることになった。久々に薬を服

用したので、フワフワ、フラフラした状態が

とても面白く、消灯前にはすでに寝ていて、

起床チャイムの途中で起きる程よく眠れた。

そのおかげで作業も運動もはかどった。

A工場に配役されて約5ヶ月が経った。集団

行動が嫌いな俺は、オッサン達の馴れ合いや

足の引っ張り合いが心底苦痛だったので、話

しの合うごく少数の懲役と一緒にいることが

多かった。それでも最初のうちは相当ストレ

スを感じていたのだが、日を重ねる毎に馴れ

ていった。地元が同じで元カノも同じ人にも

出会った。最初は笑い話しになるいいネタと

思っていたのだが、次第にコイツと穴兄弟

のかと思うとイライラすることもあった。

職業訓練の入れ替えの日がやってきた。毎週

月曜日は矯正指導日といって作業はなく、自

室にて自主学習や読書をすることになってい

る。13:00〜13:30分が運動の時間となってお

り、居室内にて運動ができる。その時間帯に

職員が来て、職業訓練受講対象者に言い渡し

がくることとなっている。来なければ流れた

ということになる。腕立て伏せをしていた時

に居室の扉が開き、職員から、「職訓に行く

ことが決まったので、B工場へ移動する準備

をしておくように」と言われて、キャリーケ

ースを貸与された。これで半年間刑期を楽に

消化出来ると思うと嬉しくて仕方なく、運動

時間一杯まで張り切って腕立て伏せをした。

刑務所の加入儀礼とでもいうべき刑務官のイカれた態度㉗

刑務所に入所して最初の1ヶ月は考査期間

といって受刑者の性格や協調性、作業能力や

意欲などを調べられるのがメインとなる。

そうした調べに基づいて配役先の工場が指定

される。新たに入所した受刑者のことを刑務

所では新入(しんにゅう)と呼ぶ。加入儀礼

とでも言うべきか、新入に対する刑務官の態

度は非常に厳しく、アラを探しては怒鳴り散

らし、揚げ足をとっては怒鳴り散らす日々の

繰り返しである。刑務所とはヤバイところだ

と初めて痛感した出来事がある。考査期間の

担当刑務官はアンタッチャブルザキヤマ

ビックリする程似ていたので、懲役の間では

ザキヤマと呼ばれていた。刑務所では免業日

(土日祝日などの休日)や休憩時間以外の手

は、五指をしっかりと揃えて中指から小指の

四指はエビの様に反らなければいけないと教

えられる。だからといって直ぐに身につく筈

はない。運動の為にグランドへ移動する準備

をしていた際のことである。他の懲役より早

く作業服から運動着へと着替えたので待機し

ていた。心ここにあらずで指先の意識が欠け

ていた。背後からザキヤマが近寄ってきて、

耳元で、「指先」と怒鳴ってきた。耳元で怒

鳴られたので、耳がキーンとなり痛かったの

でイラッとしてしまい返事はせずに五指だけ

を揃えた。それを見たザキヤマが顔面を俺の

顔面の30センチくらいまで近づけてきて、

「いいか、刑務所での指先は先ずは五指を揃

えて小指から中指の四指をぐいっと反らすん

じゃぁ」といいながらその手を見せてきた。

本気で言っているのか笑わせようとしている

のか分からなかったので、真似をして「これ

でいいですか」と指先を見せたら「そうじゃ

ぁ、それ以外は認めんけんのう」と言い放ち

去っていった。面白かったのだが、こんな馬

鹿げた真似をあと3年以上も続けなければい

けないと思うと心底嫌気が差して深い溜息を

吐いた。運動の時間も大半の時間を「右へな

らえ」や「回れ右」、「礼」といった初動作

の時間に充てられるので、運動らしい運動や

同囚との会話もほとんどできずに終わること

になる。作業は千羽鶴折りという超単純な作

業を黙々とこなさなければならない。娑婆だ

ったらあれも出来るのに、これも出来るのに

といった具合に次々とアイデアや稼いでいる

筈の金額が浮かんでくる。出来る限り沢山仮

釈放を貰い一日でも早く娑婆に出るのが賢い

考え方だ。その為には、理不尽なことにも耐

えて、性根腐っている職員の嫌がらせにも耐

え抜いていこうとこの時は思っていた。

選ばれし者が収容されるスーパーA級民間刑務所に移送される㉖

移送される刑務所が確定するまでは、作業時

間は単独室内で刑務作業を行わなければなら

ない。伊藤園お〜いお茶の袋を作る作業だ

った。無期囚と一緒になった次の日の運動か

らは、違うメンバーと4人で一緒に運動する

ことになった。その内の1人が、「刑務所の

単独室での暮らしは楽だというから早く決ま

って欲しい」と言ってたのが印象的だった。

淡々と紙作りを行っていた午後の作業中に刑

務官が来て、「明日移送が決まったから私物

の整理にこれから行くからな」と言われ収容

されている者の荷物が保管されている大きな

ホールへと連行された。俺の荷物をチェック

している2ブロックで真っ黒に日焼けした刑

務官から「刑期はどれ位なの」と笑いながら

聞かれた。操作しているパソコンに載ってい

ねえのかよと思いつつも「4年です」と答え

たら「ここの拘置所の中ではまあまあある方

かな」と言われた。「ふ〜んだから何、それ

がどうしたのと」思いつつも荷物の整理を続

けた。PC2台はヤマト便で実家に送る手配

をして、約1時間程度で終わった。単独室に

戻ったら刑務官から、「明日は全体の起床

チャイムが鳴る前に起こしにくるから、起き

たら静かに居室内の荷物の整理をして、出発

できる状態でいるように」と告げられた。

「どこの刑務所になるのですか」と確認の為

に聞いたら「それは明日伝えられる」と言わ

れた。逮捕されてから丁度半年、拘置所に移

送されてから約5ヶ月間で刑務所への移送。

他の受刑者に比べたら早い移送になるとは思

うが、感覚的には長いようで早い何とも言え

ない不思議な感覚だった。眠剤を飲んでいる

にも関わらず、よく眠れなかった。なので早

朝刑務官が起こしに呼びに来る前には起きて

いた。直ぐに準備を終えて、いつでも出発で

きる用意をしていたところ、単独室の扉が開

き、荷物が置いてある大ホールまでの長い廊

下を歩き一緒に移送される者達が来るまで、

ホール前の扉で待たされた。一緒に移送され

るのは6人だった。6人が揃ったところで大ホ

ールに入り、、自分の荷物を足元に置いてか

ら、テーブルに座って6人で朝食を食べた。

刑務官から、「刑務所までの連行担当者がま

だ到着していないからしばらく待機するよう

に」との周知があった。20〜30分くらい

待ったと思う。刑務所まで連行する刑務官と

マイクロバスが到着した。連行する刑務官は

3人いた。その中のトップが「これから◯◯

県の◯◯まで連行します。そこは刑務所とは

思えない程自由度が高いところです。自分た

ちは選ばれた人間だという自覚を持つように

して下さい」と言われた。それからワッパを

はめられて、ワッパに紐を通されて6人が繋

がれた。マイクロバスで◯◯駅まで行き、そ

こからは新幹線に乗っての移送になった。ト

ップの下になる部下のうちの1人が連行され

る受刑者と少し目が合っただけで、「合図す

るなコラァ」と怒鳴り散らしてくるのには腹

が立った。しかも新幹線内では通路側で口を

大きく開けていびきをかいて爆睡する始末。

ただでさえワッパにロープを繋がれて目立っ

ているにも関わらず、爆睡しているそのアホ

面のせいで更に目立ってしまっている。周囲

に座っていた人達が小声で「皆悪そうな顔し

ているよね」と言っていた。アホ面刑務官は

というと、起きては煙草を吸いに行き、戻っ

てきてからはアホ面全開で爆睡するという繰

り返しだった。そのアホ面刑務官は、自分が

4度目の懲罰を終えて配役された工場の担当

刑務官になろうとはその時知る由もなかった

拘置所での集団運動で、まさかの強盗殺人の無期との遭遇㉕

刑務官から「集団運動出たいか」と聞かれた

ので「出たいです」と答えた。拘置所に入っ

てから初めての集団運動で、同じ境遇の者達

と話しが出来ることに少し嬉しくなった。

俺も含めて3人で4畳程の運動場に入った。

2人とも年上で、1人は40代で小柄でやた

らと目がギラギラしている。もう一人は60

歳くらいの肥満帯で、あごに手を当てながら

どこか遠くを見つめている。40代の小柄な

人が、「俺、傷害で懲役8ヶ月のションベン

刑だけど、何をしたの」と聞いてきたので、

「強盗で4年ですね」と答えた。どこで捕ま

ったのかや、どんな事件だったのかを2人で

話していた。もう1人の60歳位の肥満帯の

人は相変わらずあごに手を当てながら遠くを

見ていたので、聞くのに躊躇したが、「何さ

れたんですか」と聞いてみたら、やっと視線

をこちらに向けて、「強盗殺人」と答えた。

その瞬間、俺と40代の人も言葉を失った。

内心、こんなやべぇ奴とこんな狭い運動場に

いて大丈夫かという気持ちになったが質問を

続けることにした。「強殺なら無期ですか」

と聞いたら、無言で頷いた後、自分の事件の

事を話し始めた。「共犯の女(これも無期)

から、知り合いに金持ちがいて、自宅に大金

があるから盗もうと誘われたんだよね。それ

で一緒に被害者の家に行って酒に睡眠薬を入

れて眠らせてから家中を物色したら、現金

180万円が見つかった。その現金をバッグ

にしまったまではいいんだけど、顔見られて

るけどどうしようと共犯と相談したら、共犯

が、私が家を訪れたらもう死んでたってこと

にしようと提案してきて、だからアナタが殺

してって言われたから最初は当然断ったんだ

けど、共犯から根性無し、殺さないと捕まっ

てしまうよと言われたから、確かにそうだと

思って台所にあった包丁で喉元を掻っ切って

殺した」と言い放ち、少しの間を置いてから

「30年だから出所は90になるころか…も

うどうでもいい」と諦めの言葉を発した。

「犯行後どのくらいの期間で捕まったのか」

と聞いたら「2週間後に先に共犯が捕まって

その1週間後に捕まった」と言っていた。

そこで話しは終わった。40代の人を見たら

増悪のこもった目で無期囚を睨んでいた。

無期囚は再びアゴに手をやり、遠くを見つめ

ていた。無期囚の体からは、人間の体臭とは

思えない動物の死骸の様な臭いが漂っていた

懲役刑執行開始被告人から受刑者へ。移された棟はどんよりとした㉔

未決勾留が80日なので、実質約3年8ヶ月

の懲役刑となる。判決には納得していたので

控訴はしなかった。控訴可能期間の2週間が

明日迄なので、明日からは被告人ではなく

「受刑者」になる可能性もある。単独室の中

で相変わらず、外ではもう俺の噂は広まって

いるのだろうか、それとも誰も何も知らない

のだろうかという懊悩に苦しめられていた。

弁護士や大親友からの手紙が待ち遠しい。

判決の仮監で一緒だったTさんからガテ

(手紙)が届いた。同じ拘置所に収容されて

いるのだが、被告人同士なので届いたのだと

思う。ガテには、自分よりも随分と刑期が長

いけど頑張って下さいということや、連絡先

が記載されてあった。2日後の手紙の発信日

に返信した。判決から3週間後の午前中、

読書をしていたら、単独室の食器口が開き、

刑務官から、「今から懲役刑執行な」という

ことを伝えられた。とうとう「受刑者」とな

る日がきたのだ。キャリーケースが渡され、

◯◯棟から◯◯棟へと移動になるので荷物を

整理するように告げられた。準備が整い、長

い廊下をキャリーケースを引っ張りながらS

さんの部屋をちらっと覗いたら、凄く驚いた

顔をしていた。恐らくSさんは俺が控訴する

のだと思っていたのだと思う。戦いから逃げ

た後ろめたさがあったが、頑張って下さいと

いう意味を込めてちょこんと頭を下げた。こ

れでSさんとお別れと思うと悲しくなった。

移動した棟は、懲役受刑者専用棟ということ

もあり、移される前にいた棟と比べると、物

静かでどんよりとした感じで不気味だった。

移される少し前に(受刑者になる前に)検察

庁から訴訟費用の請求書が届いた。支払い期

日も明記してある。担当刑務官に、「出所後

支払うということでは駄目なのか」と聞いた

ところ、「そのようにする為に不服申し立て

があるからやってみろ」と言われたのでやっ

てみたが、見事に却下された。請求がある人

とない人がいて、ほとんどの人はないのに、

何でだろう、金持ってると見られてるのか、

それとも事件の心証が悪いからなのかなと考

えつつも期日までにちゃんと支払いをした。

大親友から待ちに待った手紙が届いた。本も

差し入れてくれた。手紙の内容からして、事

件についての詳しい内容は知らない感じだっ

た。面会に行こうと思っていると書いてあっ

たので、「どのタイミングで刑務所へ移送さ

れるかわからない」という理由で断った。

判決の日。求刑6年なので、4〜5年の判決だと考えていたが㉓

判決の日がやってきた。

妙に落ち着いている。

逮捕されてから今日の判決までを振り返ると

無罪主張で戦うべきだったという後悔だけが

残っている。今後二度と犯罪に手を染めはし

ないが、戦うということを辞めてはいけない

ということは胸に刻んでおかなければいけな

い。判決待ちの仮監で出会った人達は皆明る

く、判決ということを忘れ話しに夢中になっ

ていた。在日韓国人の◯◯はまだ27歳なの

に◯◯のイタリアンレストランオーナーだ。

10代の頃から目標を持ち、こつこつと夢に

向かった結果だと言っていた。年下ながら

尊敬に値する。素晴らしい。アウトサイダー

団体戦で優勝したチームのリーダーの〇〇

さんがいた。大阪拘置所から裁判の為に来た

らしい。逮捕されて2年以上が経つがまだ1

審も終わっていないと言っていた。アウトサ

イダーで前田の服をビリビリに破いた話しや

ペーパーカンパニーを作って、脱税、マネー

ロンダリングのやり方など興味深い話しをし

てくれた。そうこうしている間に自分の番が

回ってきた。皆から、「頑張って」や「行っ

てらっしゃい」という声をかけられた。

第1、2回の公判時にはスーツ姿で望んだが

判決は上下黒のジャージ姿で臨んだ。どんだ

け心証を良くする態度をとっても判決には影

響しない。そう思ったからこそジャージで臨

んだし、被告人席に座る姿勢ももたれかかる

様に座り悪かった。傍聴席の最前列の真ん中

で金髪の男がこちらを見ながら笑っている。

知り合いかなと思い注意深く見たが、全然知

らない奴だった。他人の不幸は甘い蜜という

言葉が脳裏をよぎった。恐らく俺の惨めな姿

を見て面白がっているのだろう。

裁判長の「被告人は前へ」という言葉で証言

台に立った。求刑6年だから、4〜5年と予

想していた。裁判長の「主文、被告人を懲役

4年と処す」という判決を聞いて胸の中でガ

ッツポーズをした。その後の理由については

右耳から入って左耳から流れていた。ただ、

「この手の事件の中では凶悪の部類に入る」

という言葉は流れることはなく耳に残った。

閉廷後、弁護士と面会した。弁護士は既に父

親と電話で話していた。父親は「良かった」

と言っていたことを伝えられた。1番安い刑

で収まったことは素直に嬉しかった。「N弁

護士のおかげです、有難うございました」と

言い頭を下げたら、N弁護士が「刑務所での

態度が良ければ仮釈放もあるので頑張って下

さい」と励ましの言葉をかけてくれた。N弁

護士との面会も終わり、仮監に戻る途中、

〇〇のアウトサイダーのリーダーが弁護士に

対して怒鳴り散らしてキレていた。公判が思

うようにすすまなかったのだろう。仮監に戻

ったら皆が「おかえり、どうだった?」と聞

いてきたので、「4年でした」と伝えると、

「良かったね、先が見えたから楽になるね」

と横浜の半グレの詐欺のリーダーが声をかけ

てくれた。

自分で自分の命を絶つことが出来る程俺は強くなかった㉒

今日、人生を終えようと考えているのに、

普段通りに目が覚めて、普段通りに朝食を頂

いた。あと30分後くらいに運動が始まる。
そこで俺は首を吊って死ぬんだ。目を閉じ、

怖くない、怖くない、苦しくない、苦しくな

い、楽になれる、楽になれると何度も言い聞

かせた。俺が死んだら悲しむ人はいるのかも

しれないが、そんなことよりも自分で命を絶

つ恐怖に打ち勝つことだけに集中していた。

運動の時間が始まり、居室のドアの外から鍵

が開けられた。検身を受け、単独運動場に刑

務官から連行された。単独運動場の扉が閉ま

り、刑務官が去って行ったのを見計らって、

素早く麻の衣服を脱いで、両袖をコンクリー

トジャングルに固結びでギュウギュウにくく

りつけた。そして衣服に首を引っ掛け、グル

ンと体を1周まわした。一瞬で頸動脈が絞ま

り、味わったことのない苦しさに襲われた。

体重が75キロあって、その体重を首元で支

えている状態で、あと2、3秒で死ぬなと思

った瞬間、死にたくないという気持ちが強烈

に沸き上がってきた。両手で首元の衣服を押

さえ、少し隙間を作り、逆方向にグルンと回

った。そのまま地面に倒れこんだ。排水溝の

金属部分に左の手の平をぶつけ、2センチ程

切った。頭に酸素が行き届いていないため、

頭がボーッとして舌がビリビリ痺れていた。
巡回の刑務官に、くくりつけた衣服を見られ

たら不味いので、フラフラした状態で立ち上

がり、急いで衣服を外した。その後は壁に寄

りかかって呆然としていた。寸前のところで

駄目だった。何故駄目だったのか、やはり恐

いからだ。それに尽きる。結局自分の命を絶

てる程強くはないのだと痛感した。

心が腐ってて生きているのが心底辛い。いっその事死んだ方がマシ㉑

憎しみからは何も生まれない。

なので人を恨んでも何の解決にもならない。

分かってはいるが○○だけは恨んでしまう。

違法ドラッグを何度もしつこく勧めてきて、

断っても分からない様に飲料水に交ぜたりし

てくる。今回の事件は違法ドラッグも事件を

起こす1つの要因だと考えている。俺だけこ

の様な状態、状況になってしまっても○○は

手紙の1つも寄越してこない。本当に腹立だ

しくて仕方ない気持ちで胸が苦しくなってし

まう。挫けそうになってしまう。精神が崩壊

してしまいそうだ。俺が悪いのは分かってい

る。事件を起こしたのだから。それでもこん

なに胸苦しくて、不安で押し潰されそうな体

験をしなくてはいけないのかと思ってしまう

時が正直言ってある。心が腐ってしまいそう

だ。この状態で刑務所に移送されて努めるこ

とができるのか。出所後、社会復帰できるの

か。ズタボロになって何もやる気が起きない

廃人になってしまうんじゃないかという恐怖

が襲ってくる。早くこの地獄から抜け出した

い。こんなにも後悔するとは思ってもみなか

った。今まで自分が正しいと思っていたが大

間違いだった。今振り返ると両親は正しい道

を示してくれていた。聞く耳をもたなかった

俺は本物の馬鹿だ。出来ることならばもう一

度人生をやり直して生き直したい。父さん、

母さん仲良く長生きして下さい。

弟、頑張れ。妹幸せに。地元の仲間、楽しい

青春時代を共に過ごせたことを有り難く思っ

ています。こんな最後を迎えようとしている

のなら地元にいれば良かった。生きているの

が心底辛い。生きていても希望が見いだせな

い。心が死んでいる。明日の単独運動時に麻

で作られた官物の衣服をコンクリートジャン

グルにくくりつけて首を吊って自殺しようと

考えていた。何度もダッシュで衣服をくくり

つけて、輪っかに首を通し、宙ぶらりんにな

るシミュレーションを行っていた。